そして僕はまた独りになる
第2話 僕の為に
 刻とは経ってみると意外と早いものだ。6限まである授業が週に5日。考えるだけでも長くなる。
 しかし、彼女と話した月曜の放課後から適当に時間を流していると、いつの間にか週末の日曜日になっていた。そう、彼女との約束の日に。
 彼女にもらった地図を見て着いた場所は予想と遥かに違っていた。野球のドームのように大きく、お洒落に並べられた木々。感じたことのない緊張感。そして審査員だろうか。スーツを着て出入りする人々。ここは僕の居場所ではないのだと感じた。ここは彼女達の場所なのだと。一人ひとりそれぞれの思いを持ったピアニスト達の場所なのだと。
 僕達は朝の9時に現地で待ち合わせをしていた。が、9時15分になった今も一向に来る気配はない。いつも土日は10時まで寝ている僕にこんな時間に呼び出しておいて待たせるのはどうかと思った。
「9時30分に始まるのに大丈夫かな」
 僕は太陽の光を受けて銀色の光を放っている金属製の腕時計を見ながら呟いた。
「お待たせ。ごめんね遅くなっちゃって。朝ギリギリまで練習してたら遅くなっちゃって。君の心を動かすわけだからそれなりの準備をしなくちゃね」
また僕のことを考えてくれている。そう思うと嬉しさと申し訳なさが込み上げてきた。
「いや、僕はいいけど時間大丈夫なの?」
「順番的に余裕があるから大丈夫だよ」
 ならこんな時間に呼び出すなよ。もし相手が彼女じゃなかったらこんなこと言ってただろうな。そう思いながら歩きだし、無駄に大きくできた扉を通る。
「じゃあ私待合室こっちだから」
と、僕らは別れる。僕はそんな彼女の背中をずっと見ていた。
 客席に向かおうとしたとき、遠くから彼女が大きな声で叫んでいるのが聞こえた。
「栗原君!」
僕はその声に振り向く。
「客席のどこにいても絶対に届けるから!」
その声は僕に対して届けているようにも、彼女自身に言い聞かせているようにも聞こえた。
「だから、しっかりと私を見ていて。出来るだけ前の方で、出来るだけ真ん中で、出来るだけ見聞きしやすい場所で、出来るだけ私に近い場所で」
彼女はそれだけ叫んで待合室の方へと走っていった。
 こんな緊張する舞台で「見ていて」なんて僕だったら到底言えないだろうな、と思う。やっぱり彼女には敵わない。
 そのまままっすぐ進むと、受付のようなところでパンフレットを買っている家族を見かけた。よく考えたら僕は彼女の順番を知らない。トイレに行っている間に彼女の演奏が始まっていたら話にならないな、と思いパンフレットを買うことにした。
 ゆっくりと歩いて近づいてみると、大きく文字が書かれた紙が受付に貼られていたことに気が付いた。「1冊500円」と書いてある。高い、高すぎる。普段小説しか買わない僕には20ページ程度の冊子1冊に500円も使うのはあまり気が進まなかった。でも、彼女の為だ、と僕は財布から唯一入っていた500円玉を取り出し、受付の若いお姉さんに渡す。
 受け取った冊子を開いて見てみると、名前と写真、課題曲と自由曲、今までのコンクール結果が載っていた。彼女のページを探す。どうやら発表順のようだ。彼女は後の方だから時間に余裕があると言っていた。だったら後ろのページから探せば速いだろうと思い、パラパラとめくっていった。彼女の載ったページが見つかったのは後ろから18ページめくったところ、4ページ目だった。順番は5番目。
 課題曲も自由曲もどちらも知らない曲だった。課題曲の作曲者の名前は聞いたことがあるけど。コンクール結果は学校にいる彼女からは感じられないものだった。どのコンクールを見ても優秀賞以上の結果を残していた。
 あまり余裕がなかったのに余裕があると嘘をついた、僕のために練習して遅れてきた、なぜそんなに僕なんかの為に尽くしてくれるのだろう。いや、「僕なんか」というのはやめよう。また月曜日放課後のように怒られてしまいそうだ。
 客席に着くと開始時間ギリギリだったからか、席の半分以上が埋まっていた。僕は彼女に言われた通り、前から2列目中央に座った。そこはピアノの目の前で最も見やすい場所だった。彼女はここまで考えて僕に叫んでいたのか、と感心すると同時に、自己主張が強いところも彼女の良いところなのだろう、と勝手な解釈をした。演奏が始まるまでの数分間、パンフレットを眺め彼女を待った。
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