この部屋に入れてくれ
この部屋に入れてくれ
午後8時。仕事を終わらせた私は、常務室に向かった。常務の秘書――新崎融が扉を開ける。

「どうした」

専務秘書の私がこの部屋に来るのはよくあることなのに、警戒感も顕だ。私の手元に紙袋を見つけて、視線を更に険しくする。

「お前まで、常務にバレンタインだとか言うんじゃないだろうな」
「だったらどうなの。ちょっと入れてよ」
「ダメだ。さっさと帰れ」

扉の前に立ちふさがる新崎と言い合っていると、奥の部屋から常務が出てきた。

「なんだ、痴話喧嘩か」
「痴話喧嘩なんかじゃ……っ!?」

私が否定しようとしたところで、新崎に手首を掴まれた。

「良い機会なので、ご報告させていただきます。私と彼女は、婚約しました」
「婚約……っ!?」

声を上げた私を、新崎がキッと睨む。

「昨日、申し込んだはずだ。君も了承した」
「それは、結婚を前提としたお付き合いであって、婚約とは違うんじゃ……」
「まあまあ。交際してるってことは、分かったよ。それで、その報告のために、君はここに来てくれたのかな?」

苦笑いしながら、常務が宥めにかかる。

「いえ、こちらをお渡ししようと……」
「あー……ありがとう。気持ちだけいただくよ」
「えぇ!?」
「新崎には、まだ僕の秘書をしてほしいからね」

新崎が、気まずそうに視線を逸らす。

「それは、二人で食べるといい」
「そんなぁ……」

引き止めも聞かず、常務は颯爽と帰ってしまった。

「海外出張した妹に、日本未上陸のショコラトリーから買ってきてもらったのよ!? チョコレートの輸入ビジネスを真剣に考えてる常務の役に立てるかと思ったのに……」
「……常務のために、そこまで?」
「そうよ」

胸を張って答えた私を見て、新崎は痛みを堪えるような顔をした。

「常務の役に立つってことは、あなたの役に立つってことでしょうが」
「え?」
「使えそうなネタだったら、ちゃんと常務に伝えてよね」
「お前……」
「私が常務に告白でもすると思った?」

常務の前では、婚約者だなんて言っておいて、情けない。

「あなたの分のチョコレート、うちにあるけど、取りに来る?」

弾かれたように顔を上げた新崎の頬にキスして、私はさっさと常務室を後にした。

仕事の早い彼なら、すぐに追いかけてきてくれるだろう。

そうでなかったら、ドアの前で言わせてやるのだ。この部屋に入れてくれ、と。
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