love*colors


「そーいや。……何だっけ? 例の婚活とやらは相変わらず頑張ってんの?」

 巽がカウンター越しに腕を伸ばして日南子の目の前にコーヒーカップを置いた。日南子はそれを受け取り、添えられた砂糖を入れてスプーンでかき混ぜる。
 店が落ち着いたこの時間、食後に巽とたわいもない話をして過ごす時間も日南子の楽しみのひとつ。
 いつの間にかテーブル席のお客は帰っていて店は日南子の貸し切り状態。

「してますよー。この間、職場の先輩と一緒だったんですけど、楽しかったですよ。──まぁ、結果は惨敗でしたけど」

 そう。日南子は今、結婚活動──いわゆる婚活をしている。婚活とは言わずと知れたソレ。合コン、お見合いパーティー、参加したその手の集まりは片手を越えた。

「つか、分かんねーなぁ? 青ちゃんまだ二十五だろ? そんな結婚焦る歳でもないだろうに」
「焦ってるんじゃないんですよ。ただ、私が早く結婚したいってだけで」
「──何でまた?」

 巽がさも不思議そうに首を傾げた。

「うち両親すごく仲がいいんです。自分の親のことこんなふうに思うの変かもしれないですけど、理想の夫婦っていうか」
「へぇー。理想が両親ってのが凄いな」
「そうですか? 巽さんとこだってご両親凄く仲いいじゃないですか」
「そうでもないぜ。しょっちゅう喧嘩してるし」
「喧嘩するほどナントカ……って言うじゃないですか」
「はは。よく分かんねぇけどなー」

 特別な結婚でなくていい。どちらかといえば平凡でいい。
 好きになった人が傍にいて、笑ったり泣いたり……それが日南子にとって理想の結婚。

 だって、楽しいことは一人より二人のほうがより楽しいだろうし、悲しいことや辛いことは半分にできたらそのほうが何倍も幸せだ。


「分かんねーなぁ、俺には。前提として好きなやつがいて──、その延長の結婚じゃねぇの、普通は?」

 確かに世間一般的な結婚とはそういうものなのかもしれない。

「──なんですけど! そこもひっくるめた婚活なんですってば。私だって好きでもない人と結婚したい訳じゃないんです。まずは好きな人と出会うことから……ってやつです!」

 鼻息荒く熱弁をふるった日南子に巽がクスと小さく笑った。

「──まぁ、いいけど。青ちゃん普通にモテんだろ?」
「モテませんよ。今まで付き合った人、一人しかいないですもん。しかも高校の時、数カ月の」

 それって一体何年前の話だ。そもそも付き合ったうちにカウントしていいのかと考えたらたちまちシュウウン……と電池が切れたように項垂れた日南子に巽が二杯目のコーヒーを継ぎ足す。

「いいじゃん。ガキん時の好きだ惚れたなんてそんなもんじゃねぇの?」
「……大学の時は好きな人はいたんですよ? でも彼には彼女いて」

 そう、あれは悲惨だった。同じサークルの先輩で、好きだって自覚して距離縮めていざ想いを告げた瞬間の失恋。告白の現場で、彼が彼女持ちだと発覚。今思い出しても痛い思い出。

「ははっ」
「就職してからだって職場に男性社員いっぱいいるのに全然だし」

 今の職場に至っては、友達としてはともかく男性としてときめくかも……と思える人すらいない。人を好きになる感覚ってどんなだったっけ? それすら忘れてしまいそうだ。

「まぁまぁ。職場なんてそんなもん、そんなもん」
「だから少しでも出会いに繋がるように、って」
「──で、婚活?」
「はい」
「で、その成果は?」
「いまのとこないですけどー」

 いい感触! と思ってもカップル成立には至らず、かといって誰かから連絡先を聞かれることもなく終了。そんなことを思い出してムスと頬を膨らませた日南子に巽が笑い掛ける。

「いいんじゃね? まだ若いんだし焦らなくても」
「だから、焦ってるんじゃないんですってばー」

 ハイハイそうだった……と日南子の言葉を穏やかに聞き流す巽の対応がなんとも心地よい。
 日南子の話を茶化す訳でもなく、悪戯に面白がる訳でもなく、ただ聞いてくれる。女にとって誰かに話を聞いて貰えるのは何よりもストレスの解消になるという。
 “くろかわ”に来れば、美味しい食事に腹を満たされ、巽に話を聞いてもらうことで心満たされ──。日南子がここに寄ることをやめられないのにはそんな理由もある。
 

「巽さんって、なんかお父さんみたい」

 小さく呟くとさすがの巽もギョッとした顔をした。

「……酷でぇな、お父さんは。せめてお兄さんくらいにしてくれよ」
「あ! ……いや、そうじゃなくて」

 日南子は両手を胸の前で大きく振りながら慌ててさっきの言葉を否定した。ふいに口をついて出た言葉とはいえ、たかがひとまわり年上の男性に対して“お父さん”はさすがに失礼だ。

「まぁ、青ちゃんからしたらオッサンにしか見えないだろうけど。俺、まだ男捨てたつもりねぇのに」

 巽が黒縁眼鏡のブリッジを押さえた後、困ったように頭を掻きながらぼやいた。

「ごめんなさい! 違うの! 違うんです!!」

 完全に言葉のチョイスを間違えた。

「大人の人、って意味で……!!」

 その言葉に嘘はない。確かに日南子よりひとまわり年上ではあるが決して老けて見えるわけではなく、どちらかと言えば若く見える。店によく来る巽の同年代の友人たちと比べても随分洗練されている。

「ものは言いようだな」
「違うんですー。巽さんいつも嫌な顔しないで話聞いてくれるし。うちのお父さんもそんな感じだからつい……」
「何だよ。結局“お父さん”かよー」
「だから、違うの。本当に!」
「じゃあ、お兄さんに言い直し。──じゃないと出禁にすっからな」

 ニヤと笑った巽に、日南子は言い返すこともできず言葉に詰まる。

「……っ! 酷い巽さん」
「どっちがだよー」
「ごめんなさい。出禁だけは勘弁してください……それ死んじゃう」

 “くろかわ”での時間は日南子にとって格別な時間。
 一人暮らしの生活のオアシス。美味しい食事と温かな笑顔に迎えて貰える特別な場所。ここを奪われるのは日南子にとってまさに死活問題だ。

   * 

 カララ……と店の格子戸が開き、暖簾をくぐって顔を覗かせた男が巽を見て「よぉ」と軽く手を挙げた。

「一杯だけいい?」
「おうよ」
「お。青ちゃんも来てたんだ。俺ビール」

 その男が日南子に気づいて近づいてくると、迷うことなくカウンターの日南子から一席空けた席に座った。

「こんばんは」

 彼は、巽の友人の赤松恭匡《あかまつやすまさ》。彼もまたこの店の常連で顔を合わせる機会も多い。日南子も巽を介してではあるが、何度か話したことがあるいわゆる顔見知り。特別親しいというわけではないが、顔を合わせれば世間話ができる程度の間柄。
 
 ふと店の柱時計を見るとすでに午後十時近く。店の閉店時間は十時。慌てて腰を上げようとすると、それに気付いた巽が先回りするように言った。

「急いで帰ることないよ。どーせコイツいるんだし」
「そうそう。青ちゃんも一杯付き合ってよ。明日仕事早いの?」
「いえ。休みですけど……」
「なら問題ないな」

 その言葉に日南子は改めて椅子に深く座り直した。店主がそう言うのなら変に遠慮することもない。“くろかわ”も明日月曜は定休日だ。

「コーヒー追加する? それともこいつに付き合う?」
「まさか俺にひとり飲みさせないよねー?」
「じゃあ、何かいただきます」

 日南子は空になったコーヒーのカップをツツツ…とカウンターに立つ巽の方へと動かした。

「ビール? それとも何か作る?」
「あ。じゃあ、この間作ってもらったグレープフルーツのカクテルがいいです」
「了解」

 巽がカウンターの後ろの棚からグラスとリキュールを取り出した。この後ろ棚は、巽が店を継ぐときの改装の際に付けられたもの。平日はごく普通の定食屋として営業しているが、金曜と土曜の夜の十時以降はバーとして営業もしている。
 ここ数年でそれを目当てにやってくる新たな客も増えた。


「どーぞ」

 赤松の前にはジョッキに注がれたビールが、日南子の前にはタンブラーに注がれたピンク色のカクテルが置かれた。

「お疲れ」
「お疲れ様です」

 赤松が掲げたジョッキに日南子がコツンとグラスを重ねた。

「いいな。俺も混ぜろ」

 弾かれたようにサーバーからビールを注いだ巽も少し遅れてグラスを重ねた。

「はー、旨い」
「そりゃ仕事のあとの一杯は最高だよなー」
「はい。このうえない幸せです」
「青ちゃんも今日店忙しかったんだろ?」
「……え? どうしてですか?」
「顔見たらわかる」

 日南子は驚いて両手を頬に当てた。そんなに酷い顔をしているのだろうかと焦ったからだ。確かに忙しかったし疲れていたけれど、仕事柄それを顔に出すようなことはできるだけしないようにしているはずなのに。

「私……そんな疲れた顔してます?」
「いや。そーじゃなくて」
「そうじゃなくて……?」
「ああ。なんつーの? 心地いい倦怠感纏って店入って来たから。充実した仕事できたときみんなあんな顔すっから」

 ニッと白い歯を見せて笑った巽の表情に、なんとなくこそばゆい気持ちなる。直接的な言葉ではないけれど、その表情が「頑張ったな」と言ってくれているような。
 
「ふふ……」

 嬉しくなって、カクテルをグイと飲んで一息。

「青ちゃん、気持ちよく飲んでくれんのはありがたいけど、ペースとか諸々ほどほどにな?」
「分かってますってー」

 居心地がいい、ここは。
 そのあとは巽と赤松のたわいのない世間話を聞きながら時間を忘れて飲んだ。
 大人には気分良く飲みたい夜もある。楽しくてはめを外したい夜もたまにはある。けれど、人に迷惑を掛けてはいけない。これ鉄則。

 日南子がこの鉄則を破ったことに気づくのは翌朝の事。


     
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