正述心緒
遠い背中

1

 最初に見た時は、男か女か―――という微妙なラインだった、と思う。…まあ、男と言うには華奢で色白ではあったけれど。



「ちょっと、遥君!聞いてる?」
 言われて、ハッとした。
 直ぐ隣で腕を組んでいた女が、もーっと唇を尖らせる。

 これ、可愛いと思ってやってんだよな…。

 こういう時、酷く醒めた気持ちになる。
 それが表に出るのか、大抵の女はしばらくすると離れていく。自分が思うほどには、自分のことを思ってくれない、と。

 アホらしい。
 本気でそう思う。

 勉強しに大学に来てるのに、四六時中女の事ばっか考えてるようなヤツがいいなら、そういうのと付き合えばいい話だ。

「まあ、まあ、そうだけどさ~。好きになったら、考えずにはいられなくなっちゃうもんなんだよ~。」
 ハルはクール過ぎ~と言うシンジには、高校から付き合ってる彼女がいた。
 彼女は短大を出て、もう就職したらしく、職場で飲み会があると、そこまでお迎えに行く程、入れ込んでいる。

「人聞き悪いな~、お持ち帰りされちゃったら困るだろ~?」
「されないように本人が気を付けりゃいい。」
「そうだけどさ~。」

 まだぐだぐだと言ってるシンジを放置して、学食のトレーを片付け、ゼミ室に向かって歩いていると、向こうからタンクトップ姿の女が歩いてくるのを見て、思わず心の中で舌打ちした。
 吞気なソイツは、こっちに気付いて、よ!と手を上げて歩いてくる。

「これからかよ?」
「ん?ううん、昼はもう食べたよ。牛丼食べたくって、外行ってきた。」

 けろりと言ってのけるのを、呆れながら見る。
 某有名牛丼チェーンに1人で食べに行く女は、この大学の中ではコイツだけに違いない。
 本人曰く、速くて安くて、サラダも付ければバランスもいい…確かにそうかもしれないが。

 まあ、それがコイツ、初島透子らしい所ではある。

 建築学科があるのは工学部だ。
 いわゆる、理系。
 正直、理系が得意だから、じゃあ文系が苦手かと言うと、そういう訳でも無い。文系の科目は丸暗記すれば済む話だから、昔からそこそこ点は取れてる。
 なのにやたらと女共に
「も~っ、理系って何でそうなの?」
 と言われるのが心外だった。
 その点、透子はそういう訳の分からない事は言わないので、非常に楽だ。
 普通の“女子”のように連れ立ってトイレに行くことも無く、一人飯も厭わない。

 いつも綺麗に背筋を伸ばして、スタスタと歩く姿はなかなか爽快だ。

 ―――女らしさは全く無いが。



「透子、お前西野センセの課題、澤村達(ら)とやるってホントか?」
「あー、うん、まだ保留だけど…。」
 マジか…思わず舌打ちした。
 こっちの気も知らず、透子は不思議そうに首を傾げている。

 澤村達は、いわゆる“オタク”集団だ。暇さえあれば、テレビゲームやアニメの話で盛り上がっている。それはまあ別に、個人の自由だし、ゲーム位は自分もやるから気にしないが、ヤツらは何かにつけて、透子を自分達のグループに取り込もうとするきらいがある。

 透子は、変わったヤツだ。(断言)

 好奇心旺盛で、人の話を良く聞く。適当に受け流すのではないのが分かるのだろう、澤村達(ヤツら)は飲み会なんかになると、必ず透子の近くに陣取って話しかけていた。
 皆一様に人の良さそうな顔をしているし、小洒落た恰好でスカしてないから、透子も油断しているが、そこはやっぱり男だ。こっそりと強めの酒を勧めたりしているのを、何度止めたことか。

 色の白い透子は、酎ハイを2杯飲んだだけで、ほんのりと肌が色付く。そしていつも以上にニコニコと機嫌が良くなるのだから、始末に負えない。

 少し忌々しい気分で華奢な体を見下ろした。
 タンクトップ、と言っても肩の布は幅広でそれ程襟ぐりは開いていない。これも教育の賜だ。最初の夏に言ってやったのが功を奏している。

 ―――胸が無いのにそんなの来てたら、首んとこから腹まで丸見えだぞ、と。
 勿論見えた訳じゃ無いが。

 入学以来、弟のだというメンズライクなパーカーが定番だったのに、夏場の実習でタンクトップ姿になった途端、その場にいたほぼ全員の目の色が変わった。
 パーカーの上からでは、全く主張されてなかった胸なのに、意外と高低差があったのだ。

 …つまり、トップがそれ程無いのに、アンダーが小さい。

 外に出ていた手首が細かったのだから、当たり前と言えば当たり前なのだが、胸だけはちゃんとあるという事実に、誰もが動揺したのだ。

 それからの日々を思うと、コイツ卒業した後大丈夫なんだろうかと、他人事ながら心配せずにはいられなかった。

「俺達(ら)んとこ、シンジの彼女の母さんが茶道の師範やってるっていうから、家元の茶室見学させてもらおうかって話になってんだけど。」
「マジで?!」
「行くか?」
「うん、行く行く!やった!! じゃあ、澤村君に断ってくるね!」
「あー、待て待て、俺も一緒に行ってやるよ。」
「え、別にいいよ?」
「お前一人で行ったら角が立つだろ? 俺が強引に誘ったって事にしとけ。」
 そう言って、つい、頭をポンと叩いてしまう。
 シンジに止めとけよと何度か言われたが、コイツといると、どうも体育会系のノリになってしまうのだ。

 透子がこっちを見ながら苦笑する。
「そういうの、彼女にもしてあげなよ。」
「は?」
 や、頭ポンで無くても良いんだけどね…と言うが、どういう意味なのかわからない。割と鈍い?と言われて思わず半眼になった。
 お前に言われたくねぇよ。

「まあいっか、でも、ありがと、助かったよ。…結構断りにくくて、困ってたんだ。」

 その言い方がちょっと頼りなげで、少し伏せた睫毛の長さにドキリとした。
 その事に自分でも不思議な程動揺してしまい、誤魔化すように冗談を言った。


「じゃあ、お礼はキス1回な。」


 勿論、冗談のつもりだった。

 でも、驚いたように目を見開いた透子の顔を覗き込んだ瞬間、我を忘れた。



 黒目がちなその瞳に吸い込まれるように、唇を重ねていた。



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