恋し、挑みし、闘へ乙女
「大丈夫ですよ。お屋敷にいるのは、今、お嬢様と私だけですから」

ミミの言葉が終わるか終わらないかのところで、乙女はミミの鼻先に人差し指を突き立てた。そして、チッチッチツと舌打ち交じりに指を振った。

「いくら自室と言っても壁に耳あり障子に目ありよ!」

乙女と覆面作家チェリー・ブロッサムが同一人物だと知っているのは、ミミと出版社“蒼い炎”の編集長である黄桜吹雪〈きざくらふぶき〉だけだ。

「まったく! 乙女様がお小遣い稼ぎをしなくても……」
「そんなんじゃないもん」

ムッと唇を突き出す乙女は子どものようだ。

「お父様はあんなだけど、ひと頃に比べたら台所事情は随分良くなったし……」

乙女の言うとおりだった。姉の女々〈めめ〉が実業家の家に嫁いだ後、兄の萬月〈まんげつ〉が芸術大学校の講師になり、桜小路家の経済状況はかなり回復した。

「私もお兄様とお姉様の援助で、無事に十七年教育も終了したし」
「そんな恩義を受けておきながら……」

うっと言葉を詰まらせてミミは着物の袖口で涙を拭く。

「女々様も萬月様も乙女様の作家活動を知ったら、どんなにお嘆きになるか……」

ミミがこれほど文句を言うのには訳がある。それは、ミミが乙女の執筆を快く思っていないからだ。理由は明瞭。内容が反社会活動だと思っているからだ。

「万が一、奥様に知れたら……」

「おお怖い!」とミミが両の頬に掌を当てブルッと震える。だが、これは大袈裟でも何でもなかった。

「お母様のことは言わないで!」

母親のことを出されると乙女もたちまち震えがくる。

母親の一葉〈ひとは〉は、見かけだけで言えば楚々とした美しい貴婦人だが、一皮剥けば極楽とんぼの大樹を海よりも広く深い心で愛し支えてきた豪傑な女性。怒ると鬼のように怖いからだ。
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