ただいま冷徹上司を調・教・中!
平嶋課長が、なにを思ってここに来てくれたのかはわからない。

私と同じ気持ちだろうなんて自惚れはしないけれど。

少なくとも以前には持たなかった感情を、私に対して持ってくれているということは事実だろう。

それだけで十分だ。

いずれ欲張りになってしまうかもしれないけれど、今はまだこれでいい。

「悪い。もう行かないと。また来週な」

腕時計を確認して、平嶋課長は玄関のドアノブに手をかける。

「ちょっと待ってくださいっ」

咄嗟のことだった。

思わず平嶋課長のスーツの袖を掴んで引き止めた。

「久瀬?」

平嶋課長も驚いているが、1番驚いているのは私自身だ。

「お仕事……行くんですよね?」

「もちろん」

「だったら……」

ずっと恋人にして欲しかったこと。

平嶋課長ならしてくれるだろうか。

「忘れ物……です」

初めてのことで、自分でも恥ずかしくて小声になってしまう。

「忘れ物はないはずだけど?」

そりゃ、物はないですよ。

私が求めてるのは物じゃないんだから。

掴んでいた袖を引いて私の真正面に向かせると、意を決して一歩前に出る。

「彼が彼女の家から出る時は、お約束でしょ?」

自分の格好もあって、小さく両手を広げてみる。

「……もしかして?」

「もしかしてです」

「俺が……久瀬に?」

個人で求めてしまったら、拒否されるかもしれない。

そんな怯えから、私は平嶋課長を従わせる魔法の言葉を口にした。

「彼が彼女に、です」

こう言えば、平嶋課長は絶対にしてくれる。

私の思惑通り、平嶋課長が一歩踏み出すと、私達の距離は20センチほど。

平嶋課長が両手を広げると、私はすっぽりと平嶋課長の腕に包まれた。

「いってきます。……これで正解?」

そう聞いてくる平嶋課長の胸の中で目を閉じて。

「大正解」

平嶋課長の背中に手を添えて、偽りの恋人ごっこを味わった……。
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