ふつつかな嫁ですが、富豪社長に溺愛されています
《忙しく楽しい……? え、会場内にいないの?》

「いるよ。良樹のすぐ近くに」


周囲を見回しながらスマホを耳に当て、こっちに近づいてくるイケメンがいた。

彼は私からわずか二メートルの位置で足を止め、なおもキョロキョロと会場内に視線を配っている。

その目に私は映っているはずなのに、《どこ!?》と視線は流されて、彼はその場でクルクルと回りだした。

その滑稽な姿に、私は目を瞬かせてから、ゆっくりと頷く。


先ほどは、セレブは思い込みの強いところがあると理解したが、今目の前で慌てている良樹も、どうやらその内に含まれるようだ。

怪しまれずにメイドになりきって働けるのは好都合だけど、半年ほど一緒に暮らしている身としては、若干のショックでもある。


「いや、目の前だって……」と呆れて一歩進み出て真正面に立ったら、やっと私を認識した彼は目玉が飛び出しそうなほどに盛大に驚き、絶句している。

その顔が面白くて吹き出せば、ひとりの男性客が私たちの間に割って入る。

私のトレーに飲み残したワイングラスを置き、「お嬢さん、次は日本酒をください」とにこやかに要求するから、私はまだ驚きの中にいる良樹を放置して、バックヤードへと引き返さざるを得なかった。


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