あなたがすきなアップルパイ

 大事な話がある――と、新谷からの突然の告白に、莉子は狼狽えていた。
 
「何?」
 
 楽しいディナーデートの雰囲気は一変し、テーブルに通されたタルト・タタンに目もくれず新谷は切れ長の目を莉子に寄越すのだった。
 彼のレンズのフィルター越しに見つめられる莉子は、狼狽えながら新谷の口から告げられる内容に真剣に耳を傾けた。
 
 
 
「……実は、来期からドイツ支社への転属が決まってるんだ」
 
 駅前の街灯の煌めきや通行人の混雑に邪魔をされることなく、新谷の声が莉子に届く。
 一拍様子を見て、新谷は言葉を続ける。
 
「会社が、海外進出を視野に事業展開と拡大を図る。俺はそこで来期に立ち上げられるドイツ支社で、実際に企画に携わることになった」
 
 栄転だ、と。そう打ち明けてくれた新谷に、莉子は満面の笑みを浮かべた。
 
「そうなんだ。それは、すごいね」
 
「ああ。だから、もう日本で一緒に暮らすことはできなくなる」
 
 莉子にも、なんとなくそれを察することはできた。日本とドイツでは、あまりにも距離が遠すぎる。
 恋人であるための二人の距離としては、あまりにも遠すぎた。
 
 
 唐突に告げられた新谷からの告白に、ショックを隠せない。莉子の笑顔も崩れていく。新谷の告白を受け止めようとすると、感情が抑えられなくなりそうで、大好きな恋人から視線を逸らせられない。
 
「海外進出も、これが初の試みだ。いつ日本に帰って来れるかわからない。それまで何年も待たせるかもしれない。だから、決めたんだ」
 
 
 タルト・タタンの完熟した蜜の香り、ネオンカラーに賑わう駅前の情景、通り過ぎる人々の足音、秋の暮れを告げアスファルトの地面を転がる落ち葉……どれも全てここから遠い場所に置いてきたように、彼の次の言葉を待つこの意識からは遠のいていった。
 
 
 
 
 
 
「莉子……結婚しよう」
 
 
 
 
 
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