アンニュイな彼
……あれ?
なんで先生の匂いが濃くなったのかな、と思った。

一瞬だけ柔らかい感触が唇に触れて、ちゅっと、微かに音がした。
前髪がさらりと目の前で揺れたのを合図に、やっと瞬きという行為を思い出す。

前触れなしにいきなり不意打ちでキスをされ、ただただ立ちすくむ私を見て、先生はしれっとした顔で再びメガネをかけ、そしていつもの余裕な調子でふっと笑う。

驚くことも忘れ、酸欠になりそうな私とはひどく対照的。
先生は動揺や、背徳なんて代物、おくびにもだない。


「っ……!」


逃げるのは本日二度目だ。
今日は体も心も忙しくて、数年分のアクシデントを一気に体験した気分だった。

その場から走り出した私を、先生は追ってはこなかった。
私は校舎へは戻らずに、正門を出て商店街の方に走る。


『ふたりのときは、その呼び方は禁止』


先生、あのキスはなんですか?

私たちに、これからふたりきりのときなんてあるんですか?

そうやって、期待持たせてからかうのって楽しいですか?

昔は、大人になったら熱い物でも飲めるようになると思ってた。
猫舌なんて治って、お洒落なマイタンブラーにコーヒーをテイクアウトして、それを片手に颯爽と出勤して。

いつか私もお父さんのように自分の店を持って、そこで食べた人を笑顔にする料理を作る。

当たり前にそう、思ってたのに……。

彼女がいる男の人に、キスされて。
持て余した恋心に蓋をして、耐えて割り切って、黙って従うのが大人?

受け入れて、平気な振りしてなきゃいけないなんて。大人って、大変。

私には、手に負えないよ__。
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