料理研究家の婚約レッスン
 Tシャツ越しにコツンと飛び出た肩甲骨をなぞり、背骨を確かめるようにして指を下ろしていった。
 思わせぶりに腰を撫でながら、碧惟は内心首を傾げる。
 すっかり力の抜けた梓を自分の体の上に引き上げ、思うさまに柔らかな体をまさぐるが、衣服の切れ目がない。

「……なぁ、これワンピース?」
「そうですよ。ねえ、先生、わたしもう起きますから」

 碧惟が唇を離した途端、梓は恥ずかしそうに体を離した。
 すかさず碧惟もさらに下へと手をやるが、ワンピースの裾は思ったより長いようだ。柔らかなTシャツ生地の触り心地は良いが、肌は遠い。
 少々落胆して手を緩めたすきに、すっかり梓は起き上がってしまった。

「せっかく二人とも休みなんだから、梓は寝ていればいいのに」
「せっかくお休みなのに?」

 普段の休日は合わない二人だが、今日は料理教室が休みのため、珍しく揃った。

「そんなに急いで起きて、何するつもりなんだ?」
「急いでって言っても、いつもよりずいぶん遅いですよ。雨みたいだし、おうちでゆっくりしましょうか」
「そうだな」

 雨音を聞きながら、一日中ベッドで過ごしてもいい。
 手を伸ばして頬にかかる髪を払い、耳をくすぐれば甘ったるい声を上げるのに、しかし梓は強情だった。

「ねえ、先生。焼き立てのパンは食べたくありません? わたし買ってきます」

 碧惟のことは、食べ物で釣ればいいと思っているのだ。
 クスリと笑って、得意げな梓の腕を引き戻そうとする。

「そんなの、後で焼いてやるから」
「えっ! 先生、パンも焼けるんですか!?」
「……俺を誰だと思ってんだ」
「さすが先生! すごい!」
「すごくはない。パン焼きなんて、よくある趣味だろう」

 碧惟の料理教室に来る生徒たちなら、たいてい何度か焼いたことがあるはずだ。
 だが、かわいい恋人に手放しで褒められて、悪い気はしない。キラキラとした梓の視線にやに下がった碧惟は、口を滑らせたことをすぐに後悔した。

「それなら、わたしも作れます? 教えてもらえますか!?」
「え……今日? 時間かかるぞ」
「今日は、パンを焼く日にしましょうよ!」
「…………今日?」

 誘うようにに体を撫でてみても、梓は輝く瞳に強い意志を宿したままだ。こうなった梓は頑固なことを、碧惟はすでに知っていた。

「……分かったよ」
「やった!」

 現金にも、自分からチョンと唇を合わせた梓は、勢いよくベッドを飛び出していく。
 梓が望むなら、仕方ない。
 揺れるスカートの裾を見送って苦笑すると、碧惟もすかさず後を追った。

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