好きな人は策士な上司(『好きな人はご近所上司』スピンオフ)

諦めるつもりはありません

六月に入って、気温が随分上がった。
明るい花が街中で咲き乱れ、夏の訪れが近付いて来ていることを感じた。

尚樹さんは益々忙しくなり、一ヶ月の半分くらいは東京本部に出勤していた。兼務だから、と峰岸さんは冷静に話していたけれど、転勤の準備が見えない場所でされているようで胸が苦しい。
ふたりで会える時間は減り、ゆっくりできる時間は殆どと言っていいほどなかった。出張予定が急に変更になることも珍しくなかった。尚樹さんはその度に申し訳なさそうに謝ってくれる。峰岸さんと応接室で話した不安や本音、職種変更のことも尚樹さんにまだぶつけれていない。この先話せる日が来るのかさえわからない。
唯一確実に会える支店でも、おおっぴらに恋人として振る舞うことはできない。尚樹さんの大まかな仕事内容を把握してきた私は、彼の仕事量を嫌と言うほど理解している。彼の疲れた表情を目にする度に、会いたい気持ちを素直に口にすることが憚られた。本音を呑み込んで「身体を大事にしてください」と言うことしかできない。
こんな時、どういう態度をとるのが“彼女”として正解なのか恋愛音痴の私にはわからない。
尚樹さんが私に何を求めているのかさえも。ただ重荷にだけはなりたくないと強迫観念のようにそればかりを考えていた。
そんな私の支えは峰岸さんが提案してくれた職種変更のことだった。尚樹さんに会えない時間や不安に押し潰されそうな自分を試験勉強や課題をこなすことで必死にまぎらわせていた。
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