彼の隣で乾杯を

プロジェクト

***

始業1時間半前のエントランスは静かで警備員の姿が見えるだけ。
シーンとした中でカツカツと自分のハイヒールの音が響き渡り、戦闘態勢に入るよう気持ちが上がっていく。

高橋と一緒に朝食を食べ私は出勤し、高橋は出張帰りにうちに来てくれたから荷物を置くために一度自宅へと戻って行った。
私は昨日副社長のせいで残業を切り上げてしまったから、早朝出勤で遅れを取り戻さないと。

いま、私ができることは早希を待つこと、仕事を頑張ることだ。

この静けさが気持ちいい。
勢いよくエントランスを歩いていく。

あれ?
エレベーターホールに特徴のある男性の姿が目に入った。
あれは昨夜話題になった神田部長?

「おはようございます」

「ああ、おはよう。こんな早朝からもう仕事かい?あんまり頑張りすぎないでね」

エレベーターを待ちながらあいさつを交わし、いやいやあなたも相当早いですよねと心の中で苦笑する。
誰もいないと思っていたらタヌキがいた。ヒト型をしたタヌキは夜行性ではないらしい。

早希と高橋の上司の神田部長。
50代半ばくらいで丸っとした体型が特徴。髪はやや淋し気だけど表情は柔らかくいつもにこにこしている。
早希の言う通り信楽焼のタヌキを連想させる曲線のフォルムと雰囲気。

「あのタヌキ部長がぁ~」と早希の口から何度も聞かされた愚痴。

「また私に変な仕事をまわしてどっかに逃げた」
「気が付いたら私のデスクに知らないファイルが山積みされてて、結局私が処理することになるのよね」
「タヌキが美味しいものをご馳走してくれるって言うから付いていったら接待だったの。私は営業事務で営業社員じゃないのに~」
「タヌキが仕事をさぼろうと次々と画策するんだよ。一体年に何回結婚記念日と妻の誕生日があるんだか。一夫多妻かっつーの」

でも、このタヌキ部長、見た目は信楽焼のタヌキだけど実はかなり有能なヤリ手の古参社員であることは高橋に言われなくても私も知っている。

密かに有能な部下を育成することに定評があるってことも。
灯台下暗しなのか早希はよくわかってないようだけれど。

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