茜色の約束
第4章 君と僕との不協和音


 その日は明らかにいつもと違った。

 駅に降り立った僕を見て、待っていた志保は目を丸くさせた。
 「え?」という言葉を繰り返す。
 志保が驚くのも当然だ。僕はいつも一人でいるのだが、今日は一人じゃなかったからだ。
 僕の背後にいる大きな存在に志保は唖然としている。
 
 僕は大きく息を吐いた後、「紹介するよ」と言った。
 しかし、僕のその声を無視した背後の存在は僕より前に立ち、口を開いた。

「俺の名前は、鳴海重明。実とは、まあ、親友と言っても過言ではないだろう」

 重明は、あははと大きく笑い、僕の隣に並び、僕の肩を組んだ。
 僕はとりあえず、愛想笑いを浮かべ、あははと小さく笑った。
 
 こんな事態になったのは、昼休みが原因だ。
 
 昼休み、いつもと同じように、重明と昼食を共にしていた。
 すると突然重明は僕に言った。

「そういえば、あの女はどうなったんだよ」

 急に重明にそう言われ、僕は口の中に含んでいた米粒を吹き出しそうになった。
 
 僕は重明に志保のことをほとんど話していなかった。
 志保に『罰金を払って』と言われたことしか教えておらず、しかも重明はそのとき面白がって聞いていた。だから、志保のことを覚えているなど、思ってもいなかった。
「どうって・・・」
 僕が濁してそう言うと、重明は「あれ」と小さく呟いた。それから言葉を続けた。
「まだ、会ってんの?」
「え?あ、うん」
 僕の短い返答に重明は目を大きく開けた。「え?」という言葉を繰り返し、顔を傾ける。
「え、ちょ・・、何がどうなってるんだ?」
 
 重明があまりにも状況を理解していないようなので、僕は今まで起こったことを説明しようと思い、志保との出来事を思い出した。
 
 いつだって思い浮かぶのは、志保の微笑みであり、「実」と優しく囁く志保の声。

 その瞬間、どくどくと心臓が高鳴り、全身の肌が赤くなるのが分かった。
 
 そんな僕を見て何かを悟ったのか、重明は眉をひそめて僕に言った。

 「自分の目で見て確かめた方が、早そうだな」と。

 学校を出るとき、僕は何度も「部活はいいの?」と訊ねた。すると重明は「今日はいいんだよ」と言い、あげくの果てには「こんな状況で料理なんて作れるか!」と僕に対し叱責した。
 電車内では、「実に女の影があるなんてなあ。何もないことを嘲笑ってやろうと思って、『どうなった』って訊いたのに、まさかなあ」と一人でぶつぶつ呟いていた。

 そんなことがあり、今の状況に至る。本当に付いてくるとは思わなかったので、僕自身も驚いていた。
 
 志保は目を丸くさせながら、僕を見て、そして再び重明を見た。その後、ふふっと笑った。

「私の名前は朝倉志保です。実の親友さんに会えるなんて光栄だわ」
 目を細めながら、志保は言う。
 
 僕は「あ」と思った。僕にいつも向けられる笑みとなんだか違う、と。
 
 隣をゆっくりと見ると、重明は志保を見つめたまま硬直していた。

 僕は慌てて、「重明?」と言いながら、重明の腰を肘でつついた。すると、やっと我に返ったのか、重明は「お、おう」と返事をし、僕と志保に一旦背を向けた。
 
 志保は不思議そうな顔つきで重明の背中を眺めている。

 僕は内心、どうしようと焦っていた。
 もしかすると、重明は志保の美しさに惹かれてしまったのではないか、という思いが僕の中を渦巻く。僕と重明の今までの人生の、学校という環境はほぼ同じと言ってもよいくらいである。ということは、僕が今まで志保ほどの綺麗な女性に出会ったことがないと言えば、重明だって同じなのだ。

「実?」
 
 ふと名前を呼ばれ、隣を見ると、志保が僕を見ていた。その視線は先ほど、重明の背中に送られていたものと違っていた。
「どうしたの?具合悪い?」
 僕の顔を覗き込み、首を左に傾げて訊く。
 僕は「そんなんじゃないよ」と言って、かぶりを振った。
 
 すると、志保は「良かった」と、目を細めた。志保がぼくに対して浮かべた笑みは、さっき重明に向けられた笑みとは違う。
 
 僕に向けられる笑みはいつもと変わらない。だからこそ、僕と重明との違いが気になった。志保の笑顔はどちらが本物なのだろう。
「志保・・・」
 僕の呼びかけに「うん?」と小さく応える志保。横目で僕を見る。
 もし、重明に向けられる笑顔が、志保の本当の笑顔だったら・・。そう考えると、急に怖くなった。
「実、何?」
 志保は再び、首を左に傾げていた。
 僕は「何でもない」と言って、首を横に振った。「そう?」とだけ志保は言い、歩き出す。
 僕も志保の背中を追った。
 
 僕にいつも向けられている笑顔が、志保の偽物の笑顔だったらどうすればいいのだろう。
 
 その思いが、僕の中にひっそりと生まれた。


 気が付くと、僕と志保は重明に連れられて、『鳴龍軒』に来ていた。カウンター席に志保を挟む形で、三人で肩を並べて、座っている。
「豚骨ラーメンがお勧めっす!」
「私、豚骨ラーメン大好きよ」
「ええ、まじっすか!」
 僕の隣で、志保と重明は盛り上がっている。
 僕はつい数十分前のことを思い出す。
 
 たしか、重明は志保との初めての挨拶を交わした後、僕らに背を向けた。数歩歩いたところで急に立ち止まり、僕と志保の方へ振り向いた。
「行きたいところがあります!」
 
 そう叫んだ。三人で並んで歩く最中、重明はやたらとラーメンについて語っていた。麺の太さやこくの旨みの引き出し方など、次から次へと話題は変わっていた。
 僕はその話題に途中で飽き、あまり深く内容を聞いていなかった。
 しかし、きっとそれが敗因だ。

 気付かないうちに、『鳴龍軒』に足を運ぶこと、夜ご飯を三人で食べることが決定されていた。
「おい、実!お前も豚骨ラーメンでいいか?」
「あ、うん」
 色々と考えている間に重明が僕に訊ねた。僕は短い返事をし、あとは志保と重明の様子を傍観した。
 
 二人共楽しそうに話していた。重明はとにかく口を動かし、『鳴龍軒』について語り、豚骨ラーメンについて説いている。志保は「うんうん」と言いながら、目を輝かせている。
 
 僕は心の中で「ちぇ」と舌打ちをした。
 
 志保が楽しいならそれで良い。
 しかし、僕が悲しいのは、志保はラーメンが好きで、豚骨ラーメンが大好きだったことを今日初めて知ったことだった。もし、重明が今日来ていなかったら、僕は知ることがなかった。
 それに、志保は楽しそうに重明の話を聞いている。僕は重明のように、次から次に話すことができない。いつだって、僕と志保の間には、静かな時間が流れていた。こんな、嵐のような時間が過ぎることはなかった。

 志保も重明といる方が楽しいのではないか・・。僕は全てに対し、マイナス思考になっていた。
 ただただ、志保と重明の笑い声が耳に残り、悲しくなる。
 
 はあ、と息を吐いた。
 
 すると、志保がこちらを見た。志保と目が合う。
「実。やっぱり、具合悪い?」
 志保は心配そうに僕の顔を覗き込んだ。

 その瞬間、目頭が熱くなった。
 僕の心の叫びが志保に届いたのだと、自分に言い聞かせる。

「しほお」と甘えた声で志保の名を呼びそうになったが、それだけはしないようになんとか自制をかけた。

「あれ?実、具合悪かったのか?」
 鼻の下を伸ばした重明が、志保に少し遅れて僕を見た。
 僕は重明に対し、睨んだ。「全てお前のせいだ!」そう睨んだ目で訴える。
 
 重明は僕の鋭い視線で気付いたのか、気まずそうに苦笑いをした。
 それから、小さい声で「すまん」と言った。僕は重明から視線を外し、再び志保を見た。
 志保は僕を見て優しく微笑む。

 その微笑みによって「まあ、いいか」という気分になった。
 
 その微笑みがもし、偽物であったとしても、僕の心を優しく包んでくれるなら、それだけで僕は十分だ。

 そう思った直後、自分はまだ単純で、馬鹿だと思った。

 自分がまだまだ子どもだという現実を突きつけられたような気がした。



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