焔の指先、涙の理由
研究会がおわると、気を使った師匠から「送ってやりなさい」と言われ、ヤツはしぶしぶわたしの前を歩いた。
その背中を見ながら、どこでどう間違って恋なんかしたのかと、対局を振り返るように思い返していた。
だけど将棋と違うところは、たとえ事実上負けていても、それを認めなくていいことだった。

それなら好きだなんて絶対言うものかと口を固く結んだ直後、ヤツの凛と伸びた背中の上で青桜の葉陰が揺らいだのを見たら、たまらなくなった。

「並木くん」

わたしにとってその告白は、投了どころの話ではない。
完全降伏だ。

「『付き合う』って、なんで俺があんたのお守りをしないといけないんですか?」

恥をしのんで告げた、わたしの愛に対するヤツの返事がこれだった。

「弱い人はきらいなんです」

足を止めたことさえ腹立たしいというように、その背中は神社の前の通りを速いスピードで歩いていく。
その肩先に枝がかかるのを見て、ああ本当に背が伸びたんだな、と思った。

受け入れてもらおうなどと思ってはいなかった。
将棋以外のものをどれだけ捨てられるか。
ヤツのいる戦場はそういう場所だ。

ヤツの肩を撫でた枝は、わたしの目線よりも上にあった。
その緑の葉にそっと触れる。

ヤツはいつでもわたしを置いていく。
どんどん先に、高みへと上っていく。
その背中を遠目に見つづけるのだと思っていた。

ヤツが正真正銘わたしを置いていなくなったのは、それから二年後のこと。
年齢制限である二十六歳まであと四年を残して、奨励会を退会してしまったのだ。
大学卒業と同時に一般企業に就職したらしい。

いつの間に、どこで自分の才能に見切りをつけていたのだろうか。
誰より自分に厳しく、全力で将棋と向き合っていたはずなのに。

わたしの知らないところで大人になっていたヤツは、わたしの知らないところで絶望し、夢を諦めていた。


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