しあわせ食堂の異世界ご飯
「アリア様、何か悩んでいませんか?」
「……えっ」

 夜になってアリアの自室でのんびりしていると、シャルルが単刀直入に聞いてきた。
 アリアの様子が最近おかしいということに気付いていたが、さすがに名前を呼ばれても気付かないのは心配になったのだ。
 アリアは昼間カミルに呼ばれても、すぐに反応できなかったことを思い返す。

 まだアリアの憶測でしかなく、シャルルに話した方がいいのか悩む。けれど、彼女はジェーロでただ一人アリアのすべてを知っている侍女だ。
 たとえ憶測の域を出ていないとしても、情報を共有しておいた方がいいだろう。

「悩みというか……リントさんのことなんだけど」
「え? リントさんですか?」

 シャルルは思いがけない名前が出て、一瞬ぽかんとする。
 確かに仲良くしてはいるけれど、そう頻繁に会っている相手ではない。アリアが気にすべきことなんてないのでは? と、シャルルは首を傾げる。

「あくまでも、私の予想で事実確認のできていないものなんだけど……」
「はい」

 アリアが考えているリントのことを、ゆっくりシャルルに説明していく。
 王族の紋章の入った懐中時計を持っていることと、今のジェーロでその装飾品を持つことができるのは皇帝だけだということ。

 一通り話し終えると、シャルルは「なるほどです」と言って頭を抱えている。

「情報が多くてパンクしちゃいそうです! でも、リントさんが皇帝陛下かもしれないということはわかりました」
「間違っても、リントさんに皇帝ですか? なんて聞いたら駄目よ?」
「そんなこと聞きませんよ!」

 アリアの注意を聞いて、シャルルはさすがにそこまで馬鹿ではないと反論する。

「でも、安心しました」
「え?」
「だって、アリア様がリントさんのことを好きなのかと思って。もしそうだったら、大変なことになったな……って…………アリア様?」

 ほっとしたように告げたシャルルだったけれど、最後の方は声に驚きの色が含まれている。
 それはきっと、目の前のベッドに座っているアリアの頬が赤く高揚していたからだろう。シャルルはそんなアリアを見て、思わず椅子から立ち上がり「えっ」と声を荒らげる。

「うそっ、アリア様……本当にリントさんのことが好きなんですか?」
「や、やあね、シャルルってば。そんなこと、あるわけないじゃない」

 問いかけられた言葉を急いで否定し、アリアは首を振る。

「私はリベルト陛下の妃候補としてここへ来たのよ? ほかの男性に惹かれることなんて、あるわけないわ」
「でも……」
「それにね、シャルル。リベルト陛下との婚姻が叶わなかった場合、私はエストレーラに帰って政略結婚をすると思うわ」

 だから、アリアは誰かに好きという感情を向けたいと思えないし、芽生えることも怖いと思っている。

「アリア様、人の気持ちに蓋をすることは難しいですよ?」
「……わたくしは王女だもの。問題ないわ」

 今は料理人をやっているけれど、アリアは生まれながらの王女だ。
 自分の気持ちを殺さなければいけないことがあることを知っているし、自分より強者には向かってはいけないのだ。

 ――それに、私は自分の気持ちがよくわからない。

 政略結婚をするのだからと、アリアは小さな頃から恋というものをしないようにしてきた。だから今回のことも、恋だと自覚する前に忘れた方がいいのだろう。
 アリアが疲れたようにため息をついたのを見て、シャルルは胸を締め付けられる。

「私はアリア様の侍女ですが、親友だとも思っています」
「シャルル?」
「だから、アリア様の胸のつかえがとれるように……リントさんがリベルト陛下だという証拠を見事掴んでみせます!!」

 高らかに宣言したシャルルの声に、アリアは思わず自分の耳を疑った。

「ちょ、何を言ってるの!?」
「これでも私は元騎士ですよ? 潜入捜査だって、お手のものです」
「いやいやいや、駄目よ、そんな危ないことをしたら!」

 慌ててシャルルを止めようとするも、決意が固いのか首を横に振られてしまう。

「大丈夫です、アリア様は私に任せてどーんと構えていてくれればいいんです」

 必ずや侍女の仕事を全うしてみせますというシャルルに、それは侍女の仕事ではないと冷静にツッコミを入れる。
 お願いだから大人しくしていてほしいが、シャルルは昔からこうと決めたことは絶対に曲げたりしないのだ。
 それは幼いころからずっと一緒にいるアリアが一番よくわかっている。

「……はあ」
「アリア様、ため息をついたら幸せが逃げちゃいますよ?」
「なら、潜入捜査なんて恐ろしいことはしないで、大人しくここにいてほしいのだけど……」

 アリアがそう告げると、シャルルは「えっ」とこの世の終わりのような顔をする。

「とりあえず、姿絵の入手から試みてみます!」
「姿絵……そういえば見たことがないわね。確かに、妃候補だから見たいと言えば閲覧できるかもしれない」
「はい! 明日、王城に行ってみますね」

 リントと皇帝が同一人物かは、姿絵を見ればすぐに判明するだろう。
 加えて、シャルルの潜入捜査を止めることができてほっとする。
 これでもやもやしたものは解消されるだろう。そう思うと眠気が襲ってくるのだから、人間の体は都合よくできすぎだ。

 シャルルはくすりと笑って、「もうお休みの時間ですね」とアリアに休むよう告げる。

「そうね。明日もお店だし、もう寝るわ」
「はい。おやすみなさい、アリア様」
「おやすみ、シャルル。いい夢を」

 シャルルがランプの明かりを消して、部屋を後にするのをベッドの中から見送る。そのままブランケットを被り、アリアは深く呼吸を繰り返す。

 先ほどは勢いもあって、シャルルといろいろ話してしまったように思う。
 けれど何より、自分はリントのことを好きなのだろうか? という疑問だ。森で会ったときはうっかり剣を向けられ、怖い思いをした。

「でも、食への不安があったのなら仕方がないし、美味しいって言ってくれて――あ」

 そういえばと、アリアは思い返す。

「あのときはスルーしちゃったけど、食事に毒を盛られるって言ってた」

 もしリントが皇帝であるならば、食事に毒を盛られたというのも納得することができる。終戦し、即位したばかりの若い皇帝が命を狙われる理由なんていくらでもある。
 他国のスパイという可能性もあるが、取って代わり皇帝になりたいと企む皇帝の臣下が毒を盛ることだってあるかもしれない。

「もしリントさんが、リベルト陛下ならいいのになぁ……」

 なんて――。

「って私、何言ってるんだろう!?」

 一気に顔が熱を持ったのを自覚して、その雑念を振り払うようにブランケットを頭からかぶる。

「そもそも、リベルト陛下は妃を望んでないのにっ!!」

 リントと皇帝が同一人物だとして、誰かを選び結婚する未来が描けない。
 枕をぎゅうぎゅう抱きしめて、アリアはもう何も考えずに眠ってしまおうと目を固く閉じる。早く朝になってほしけれど、このままずっと目覚めなければいいのに……なんて思ってしまった。
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