優しい音を奏でて…


社員食堂に着くと、

「俺、お昼買ってくるから、先に座ってて。」

ゆうくんはそう言って、行列に並んだ。

私は、窓際の席の人が片付け始めているのを見て、声を掛けた。

「すみません。ここ、もう空きますか?」

「はい。まだテーブル拭いてませんけど、
それでもよければ、どうぞ。」

「ありがとうございます。」

私は空いたテーブルにお弁当の袋を置き、布巾を取りに行った。

私がテーブルを拭き、給茶機からお茶を2杯持って来ると、ちょうどお昼ご飯を持ったゆうくんが歩いて来た。

私は小さく手を振り、ゆうくんに場所を教えた。

「おまたせ。」

そう言ってゆうくんは、にっこり笑って私の前に座った。

トクン………

何だろう?

久しぶりに子供の頃のような素直な笑顔を見た気がして、嬉しくなると同時に、心臓が大きく拍動した気がした。

「いただきます。」

2人で手を合わせて、食べ始める。

「奏のお弁当、おいしそう。」

「ふふっ
ありがとう。
でも、晩ご飯の残り物だよ。
ゆうくんのこそ、おいしそう。
唐揚げ定食?」

「惜しい! 日替わりB定食、竜田揚げ。」

「竜田揚げと唐揚げ、どう違うの?」

「さぁ?」

「ふふっ。」

どうでもいい事で笑い合えるのが嬉しかった。

中学に入学して以降のどことなく歯車がずれた感じはもうない。


「そう言えば、奏、この間、家賃がどうとか
言ってたけど、実家に戻ったんじゃないの?」

「うん。
戻ったんだけどね、弟が結婚するから、
追い出されたの。まだ先週、引っ越しした
ばっかり。」

「弟って、律(りつ)?
あいつ、結婚するの?」

「うん。子供ができたらしくてね。
夏前に産まれるから、安定期に入る春に式を
挙げるんだって。
あの子自身がまだまだ子供だと思うん
だけどね。」

と私は笑った。

「じゃあ、奏は、今、どこに住んでるの?」

「駅から西に行った線路沿いのマンション。
家賃、安くないから、ほんとは正社員で
働けるとこ探さないといけないんだけど、
東京と違ってSEの需要もないし、なかなか
苦戦してて…。」

「あぁっ!!
もしかして、先週、2階にグランド入れてたの、
奏んち!?」

「??? 何で知ってるの?」

「だって、俺んち、その5階だもん。」

「うそ!?」

「うそじゃないよ。休みの日に洗濯物干そうと
思って、外見たら、グランドピアノを搬入
してたから、気になってたんだ。」

「…ゆうくん、バイオリン続けてるの?」

私が引っ越したマンションは、線路沿いと
いう事もあり、防音設備が整っている。

普通のマンションでは、楽器は迷惑になるからできないので、楽器可のマンションを紹介してもらって決めたのだった。

ゆうくんが、楽器可のマンションに住んでるという事は…。

「続けてるって程の事じゃないよ。
気分転換にたまに弾くだけ。
奏こそ、ピアノ持って来るなんてすごいな。
実家に弾きに帰るとかいう選択肢は
無かったの?」

「私は経済的な事を考えるとそうしたかったん
だけど、律んとこに子供が生まれるじゃない?
そしたら、ピアノは邪魔なんだって。
アップライトじゃないし…。
ピアノよりベビーベッドらしいよ。
ふふっ」


休憩時間40分は、とても短くあっと言う間に終わってしまう。


「ごめん。
もう行かないと。
ゆうくん、またね。」

私が席を立つと、ゆうくんが慌てて声を掛けてきた。

「奏!
金曜、空いてる?
俺、その日は残業ないから、メシ行こうよ。」

嬉しかった。

もっと話したかったから。

でも…

「ごめん。
金曜は別のバイトなんだ。
また今度、誘って。」


そう言って、私は社員食堂を後にした。



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