冷徹社長は溺あま旦那様!? ママになっても丸ごと愛されています
「人生、退屈しなくていいわね、ソレイユのお坊ちゃま。さ、仕事に戻って。私はちょっと昼寝させてもらう。夜中に恵が起き出して、寝られなかったの」


了はにこっと笑い、ソファのひじ掛けからコットンのブランケットを取ると、恵のそばに横になった私にかけた。身体が覆われた安心感で、すぐに瞼が落ちる。

了と同じ匂いのするブランケット。カタカタとキーを打つ音。

私以外のだれかが、恵のそばにいてくれると思うと、心強かった。


* * *


息を吐いた。深く深く。もう吐く息なんて残っていないと思ってからも、さらに。

緊張を緩める私の儀式だ。緩めるというより、身体を極限状態に追い込むことで、緊張どころじゃなくするという目くらましだ。

マノの社屋の洗面所。鏡には寸分の隙もなくメイクした自分が映っている。

……はずだったのだけれど、やっぱりメイクも、毎日しないと勘が鈍る。流行にも疎くなるし、自分の顔や肌の変化にも置いていかれる。

以前の環境だったら、こんなメイクじゃ鎧の役目は果たさなかっただろう。

でももういいのだ。鎧がなくても生きていける場所へ来たのだから。


「伊丹早織と申します。女性ファッション誌の編集を四年、副編……」


約三十名の編集部員を前に、私は声を詰まらせた。


──副編集長さまにお願いすることなんてないですよ。


総勢百名弱のマノ。三分の一が編集、もう三分の一がWEBページなどのシステムも含めた制作部隊、残りの三分の一が営業や広報、管理部門だと聞いた。

Selfishの編集チームは十五名。ただし全員が専任だ。マノの編集部はこの人数で、片手に余る数のコンテンツを企画管理している。

日当たりのいい明るいオフィス。広い机の上が試し刷りや校正用紙で埋め尽くされている景色は懐かしい。ただそこから送られてくる視線だけが、自分を異物のように思わせた。

年齢も容姿もさまざまの女性。私のために椅子から立ち、話が終わるのを、もしくは興味のある情報が吐き出されるのを待っている。

ドクン、ドクン。心臓が激しく鳴りはじめた。

メイクと同じだ。私はこの空気を忘れてしまった。どうやって溶け込み、かつ自分を出していけばいいのか。感覚で知っていたはずなのに、なにも出てこない。
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