Monkey-puzzle
◇◇




真理さんに逃げられた日から3日後、『飲もうぜ』と連絡をくれた智ちゃんに指定されたバーに足を踏み入れた。


照明こそ薄暗いけど、少し陽気なジャズが流れていて何となく時間の流れが穏やかで明るい雰囲気。これだと、バー初心者でも入りやすいかもしれない。

さすがは智ちゃん、いいお店を知ってるね。

カウンターの中央に座る智ちゃんの隣に腰を下ろしたら
目の前に立っていたバーテンが「いらっしゃいませ」となつっこい笑顔を見せた。


「どうも。」
「恭介、お疲れ」

二人で軽く挨拶を交わした途端、バーテンの黒目がちな目が輝きだす。

「おおっ!これが”恭介”!」
「…智ちゃん、何この失礼なバーテン。」
「ああ…ごめん、大紀は許してやって。この感じが彼のウリだから。」

眉を下げて、満更でもない表情の智ちゃんは若干デレている。

「…男に走ったの?」
「ばっ!ちげーわ!」
「恭介さん面白いっすね!さすが智ちゃんの友達!」
「あ~…大紀、恭介にビール」

「はい」とニコニコしながらビアグラスにビールを注ぎに行くバーテンに「あれでも、腕前は一流なんだよ」と智ちゃんが苦笑いした。

「そうだよ!これでもの全国の大会で優勝してんだから、俺!」
「へえ…バカを決める大会かなんか?」
「ちげーよ!バーテンの最高峰の大会!」
「ああ…そっちね。」

コトリと少しだけ音を立てて置かれたビールがカウンターの向こうの間接照明に照らされてキラリと光を放った。

「大紀を目当ての客が多くてさ。俺もなかなかゆっくり話せないんだよ。」
「そうなんだ…。」

智ちゃんとグラスをあわせてから飲んだビールは泡も細かくて、冷え具合も丁度良くて、確かに最高に美味い。

…智ちゃんの言う通り、腕はいいのかもな“大紀”さん。


店内を見渡しても、カウンターの奥に目をやっても、ゆったりとはしているんだけど、細部に気をつかってそうな感じはあって。ただ、それが『完璧』と言う雰囲気を出していないから、客にプレッシャーも与えず、逆に爽やかな感じを与えてリラックス出来る。

これ…この人の店なのかな?そうだとしたらこの大紀って人、凄い人だろうね。

興味ありげに店内を少し見渡している俺に、別の客の相手をしていた“大紀”が笑顔を向けた。

ほらね、ちゃんと、ああやって客の一人一人を常に気にしている。


“大紀”に感心を抱きながら店内を見ている俺の隣で、智ちゃんがバーボンの入ったロックグラスを傾けると、歪む事無く形づくられた丸い大きな氷がからんと音を立てた。

「で?どうなの?」
「何が?」
「何がってさ…決まってんだろ、メールの犯人だよ。」

呆れる様に俺に笑いかける智ちゃんをシレッとビールを飲み干して、やり過ごした。

「…何、上手く事が運ばなかったの?」
「いや…それに関しては結構上手くいったって思う。」

ただ…ね。

誤摩化す事も出来たと思うけど、智ちゃんにはきちんと真相を話した方がいいと、元々考えてはいた。それが巻き込んでしまった智ちゃんに対する礼儀であり、信頼する先輩に対しての誠意だと思ったから。


「田所さんがさ…会社に乗り込んで来て。成り行き的に真理さんにはバレた。だけど、最後に三行半突きつけてたよ、真理さん。」

「三行半…って、田所さんにって事?」

「や、田所さんは実際にメールを送った人でさ、課内にバラまいたのは違う人。」

「もしかして、真田さん?」


智ちゃんの手の中で品良く回るグラス。その中の氷がまた小さなカウベルの様なレトロとも取れる音を奏でた。


「何かさ、違和感があったんだよ。ワークショップ直前にリーダー交代って。
しかも、今までやってた、高橋くんとか、恭介とかならわかるんだけど、全く関わっていなかった真田さんがリーダーって…。」


ほんと、この人キレもんだわ。相変わらず。


「智ちゃん、おめでとう。正解です。」
「マジかー!俺、まともに顔合わせて仕事出来るかな。」
「出来るでしょ、なんせ、イケメン調香師だから。」
「それ、関係ねーし。」

…久しぶりだな、この空気と距離でのやり取り。

大学ん時は散々二人でこうやってふざけ合って、言い合ってたけど。
智ちゃんが留学してからは中々会えずに疎遠になっていたから。
まあ…俺も色々必死だったし。


ふと記憶の糸を辿り出した先で、真理さんの真剣な声が耳に蘇る。

『ねえ!大丈夫?!』

一口含んだシェリートニックが、ビールの苦みを消して、爽やかさを齎した。


「で?木元さんとは上手くいってんの?って、俺自分の傷口に塩塗ってどうする。」

俺の表情の変化で真理さんを思い出していると悟ったであろう空笑いする智ちゃんに少しだけ身体を近づけた。


…この人は俺に甘い。
昔っから俺が甘えると「またかよー!」と大抵の事は許してくれて、譲ってくれた。


甘えきってたんだろうね、そんな智ちゃんに。
この人が居なくなった時の喪失感はハンパ無かった。
先輩だし先に社会に出て、大人として忙しくなって行くのは、当たり前の事だったんだけど、当時の俺は智ちゃんの様に大人にならなければ、と焦ってたって思う。
何をしたいかとか興味があるかとかも考えないで、インターンで会社を片っ端から受けて、必死で『社会人』になる事を目指して。

その結果、ボロボロになってね…。

まあ、おかげで真理さんに出会えたんじゃないかって今では思ってるけど。


「…恭介、お前が甘えてみせた所で、俺は別に癒されねーよ?
木元さんとの事、ちゃんと聞かせろよ。俺にはその権利位あるだろ?」


…甘いんだけど、結局この人には敵わない。
こうやってピシャリと最後は言って俺の緩んだ所を引き締める。
だから、心地いいんだよね、智ちゃんは。

苦笑いした俺の前に、新しいビールがスッと置かれた。

「ねえ、真理ちゃんは元気?!」

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