こんなにも美しい世界で、また君に出会えたということ。
18.三人だけの花火大会
 ろうそくに火をつけるために、マッチ棒の先端を箱の側面にこすりつける。すると一瞬火花が散ったかと思えば、先端にオレンジ色の火がともり辺りをぼんやりと照らす。

 朝陽はマッチをろうそくの先端に近付けて、火を灯した。

「うわぁ」

 ろうそくにつけられた火を見て、紫乃は感嘆の息を漏らす。オレンジ色の火によって、大きな瞳がキラキラと輝いている。

 辺りが照らされたこともあり、すぐ隣に朝陽がいることをようやく意識させられたのか、紫乃は珠樹の方へと慌てたようにちょこちょこ移動した。その頬は桃色に染まっていて、少し俯いている。

 どうしてか朝陽の心臓もどくりと大きく脈打って、そわそわとした気持ちにさせられた。例のごとく珠樹は朝陽のことを睨みつける。

「お前ら、初々しいかよ」
「え、なにが……?」

 珠樹は朝陽からそっぽを向いて、ガサガサと乱暴にパーティーセットの封を開ける。

「一日家に泊めれば、そりゃあお互いに意識するよね……」そう小さく呟いた言葉は、紫乃にも朝陽にも聞こえなかった。

 珠樹は封を開けたパーティーセットの中から、適当な花火を取り出して紫乃に持たせる。それから何事もなかったかのように、ニッと口角を持ち上げて微笑んだ。

「このひらひらの部分を千切ってね、ろうそくの火に近付けるんだよ」
「うん、わかった」

 紫乃は言われた通りに花火の先端を千切って、ろうそくの火に近付ける。するとそこから黄色の火花が激しく飛び散り、それに驚いた彼女は「うわっ?!」という短い悲鳴を上げて花火を地面に落とした。

「ちょ、紫乃ちゃん手放したら危ないよ?! ほらちゃんと持ってなきゃ」
「ご、ごめん……」

 珠樹が火花の飛び続ける花火を拾って、紫乃にもう一度持たせる。その激しさに紫乃は釘付けになって、先ほどのように瞳がキラキラと輝いていた。

 しかしやがて火花は勢いを失っていき、最後には燃えカスのみが残る。

「ね、面白いでしょ?」
「すごい、綺麗だった」

 まだ余韻が抜けきらないのか、燃え尽きた花火の先端をまじまじと見つめながら呟く。朝陽は彼女がもっと楽しめるようにと、今度は青色の火花が飛び散る花火を勧めた。

「こっちもすごく綺麗だよ」
「やってみるね」

 手渡した瞬間に一瞬お互いの指が触れ合って、指の先から心臓の方へ伝播するように甘い衝動が伝わった。思わず彼女の方を見ると、もう花火の先端をろうそくの火に近付けていて、パッと青い火花が弾け飛ぶ。

 紫乃は花火に夢中のようで、朝陽はホッと安堵の息をついた。

「ほらほら、花火同時点火だぜ!」
「きゃ! 珠樹さん危ないよ!」
「大丈夫大丈夫! ほれ、ハート型!」

 珠樹は二つの花火をハート型になるように動かす。

 薄暗闇の中に一瞬だけピンク色のハートが現れて、紫乃はパチパチと拍手をした。

 それから紫乃も珠樹と同じように腕を動かし、右が青色で左が赤色のハートが出来上がる。その美しさに楽しげな笑みを浮かべていたが、紫乃はふとした時に我に返ったかのように表情を暗くして、笑顔を引っ込めてしまうことがあった。それは薄暗闇に紛れて、珠樹には伝わっていない。

 本当は楽しめていないのではないかと考えたが、今日一日を振り返ってみても、あの全てが紫乃の演技だったと朝陽には考えられなかった。彼女は時折そういう表情を見せるだけで、常にというわけではない。

 どこか楽しむことをためらっているように見えて、だけどその意味が朝陽には分からなかった。

 楽しい瞬間は瞬く間に過ぎていく。残りは線香花火だけになった時に、珠樹は思い出したかのように時計を見た。

「あ、やっべ。もう家の中入らないと、さすがにお父さんに怒られる」

 名残惜しそうな表情を浮かべる珠樹は、きっと心の底から今日の一日が楽しかったのだろう。

「それじゃあ、今日はもうお開きにしようか」
「ん、そだね」

 手早く花火の後片付けを行う。三人の洋服には火薬の匂いが染み付いていて、それをかぐたびに楽しい思い出が頭の中をよぎるようだった。

 片付けをしている最中、紫乃は燃え尽きた花火をまとめている珠樹の側へ自ら近付き、一緒に燃えカスの処理をしていた。その行動が嬉しかったのか、珠樹はいつにも増して笑顔を浮かべている。

「あの、今日はありがとね珠樹さん」
「いいっていいって! 私も楽しかったし、紫乃ちゃんともたくさん仲良くなれたしな!」

 屈託のない笑みを浮かべる珠樹を見て、やはり紫乃も微笑んでいた。

 残った線香花火は朝陽が持って帰ることに決まり、後片付けは全て終わる。別れ際、気になったことがあった朝陽は紫乃へ質問をした。

「明日は、部活行くよね?」

 一瞬ムッとした表情を見せるが、珠樹はすぐにいつもの表情へと戻る。

「そんなに部活に行って欲しい?」
「うん」

 それだけじゃ足りないと思った朝陽は、すぐに言葉を付け足した。

「学校の演奏会でたまに演奏聴くけどさ、僕結構好きなんだよ。珠樹が演奏してるとこ。頑張ってるなって感じるし。コンクールで演奏する珠樹を見るのも、すごい楽しみなんだ」

 素直な言葉に珠樹は一瞬頬を染めて俯いたが、すぐに気丈な態度で振る舞った。

「嘘つけ。チューバの音なんて、トランペットの音とかにかき消されて違いなんてわかんねーだろ」
「でも、珠樹が頑張ってるっていうのは伝わってくるよ。それに珠樹がいなかったら、演奏も少しだけ迫力がなくなると思う」
「なっ……」

 その言葉が嬉しかったのか、珠樹は再び俯いてしまった。どうしたのかと思い覗き込むと、今度はすぐそばまで近寄って、小さな足で朝陽の靴を踏みつける。

「いてっ!」
「うっせー! バーカバーカ! 朝陽に言われなくても、明日からちゃんと行くっつーの!」

 踏まれた足にわずかな痛みを覚えたが、珠樹の言葉が嬉しくて安心したように微笑む。それから逃げるように彼女は家の中へと戻っていき、やっぱり朝陽は少しだけ寂しさを覚えた。

 しかしそんな寂しさを忘れさせるように、紫乃が身体を縮こませて朝陽の手を握る。指先が触れた時に感じた甘い衝動が再び伝わってきて、ようやく彼はぼんやりと自分の気持ちの変化を理解することができた。

 自分は、東雲紫乃のことが好きなのだ。それはきっと……あの瞬間から。

 その想いに戸惑いは覚えなかった。むしろ自分の心の中にピタリとはまり込んで、どうして今まで気付かなかったのだろうと不思議にさえ思う。

 この気持ちを伝えることに、朝陽はためらいを覚えたりはしなかった。それは一度、突然の別れを経験してしまったから。

 早ければ明日にでも伝えてしまおう。心の中でそう決意して、隣を歩く紫乃を見つめた。

 ちょうど紫乃も朝陽のことを見つめていて、視線が偶然にもぶつかってしまう。最初に彼女の方から視線を外して、慌てて朝陽も視線をそらした。

 何かしゃべらなければと思い、すぐに話題をしぼりだす。

「そ、そういえば、綾坂さんからメールは来てた?」
「え、あ、来てないよ」
「そっか」

 今日は一日珠樹に振り回されていたから、彩にメールを送っているところを見ていないことに朝陽は気付いた。

「今日のこと、綾坂さんに伝えてあげれば?」
「今メールしてもいいかな?」
「大丈夫だよ。そういうことは早く伝えた方が、綾坂さんも喜ぶと思うし」

 そう言われて頷いた紫乃は、空いた方の手でスマホを取り出してメールを打ち始めた。歩幅はゆったりとしたものに変わり、朝陽はそれに合わせるべく歩みを緩める。

 そういえばと、ふと朝陽は思った。紫乃は自分のことを『紫乃』と呼んだり、『私』と呼ぶことがある。

 些細な変化のためそれほど気にはならなかったが、もしかすると紫乃は、自分の一人称を気にしているのかもしれない。朝美も昔は自分のことを名前で呼んでいたことを思い出し、どこか懐かしい気持ちになった。

 それと同時に、大人になろうとしている紫乃が微笑ましくなる。

 そういうことを考えていると、いつの間にか家の前についていて、紫乃のメールも打ち終わったようだった。彼女はスマホをポケットにしまい、それから胸に手を当てて朝陽に聞こえない声量で「ごめんね……」と呟いた。
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