君のいた時を愛して~ I Love You ~
「中村さん、よく聞いてください」
 中嶋先生は俺を椅子に座らせると、そう言った。
「サチ、入院なんですね」
 俺が答えると、先生はゆっくりと話し始めた。
「いいえ、入院にはなりません。点滴が終わったら退院です」
「でも・・・・・・」
 俺は逆に驚いて躊躇した。
「サチさんの病状は、確かに芳しくありません。あの体力で荷物を運んだり、人を助けたりなんて、災害によるアドレナリンの過剰分泌によるものでしょう。ですが、その反動は大きいものでした」
「じゃあ、このまま入院した方が良いのでは・・・・・・」
 俺は中嶋先生の言葉に食い下がった。
「いえ、サチさんは延命拒否に同意されていますし、ここまで衰弱が酷くては、手の施しようがないというのが事実です。ここから先は、生き長らえさせるための点滴ですら、延命治療と言われても仕方のないことです」
 余りの事に、俺は言葉もなく先生を見つめた。
「ご存知かもしれませんが、東北を中心とした巨大地震が発生した関係で、首都圏でも停電や事故、怪我やエレベーター内の閉じ込めにより気分を悪くされた方、割れたガラスによるけがをされた方、家具や家電の落下等により負傷された方々が次々に搬送されてきています。そのため、一床でも多く搬送されてくる患者さんを収容できるベッドを確保する必要があります」
 そこまで言うと、中嶋先生は一呼吸、間を開けた。
「冷たいようですが、延命拒否をされているサチさんのために使うベッドはありません」
 先生の言葉はサチにとっての死刑宣告だった。
「様態の急変もあり得ますから、入院はできませんが、院内の待合室や、カフェレストランエリアも負傷者の収容に開放していますので、そちらで余震がおさまり、電力の回復、ご自宅の建物が帰宅可能な状態かを確認され、安全が確認されるまで、院内で避難を続けられても構いません」
 俺には、『わかりました』と『ありがとうございます』以外の言葉を口にすることはできなかった。
「サチさんは、相当な精神的なショックと、肉体的なダメージを受けています。残された時間を大切に・・・・・・」
「サチのところに戻ります」
 俺は言うと、部屋を出てサチのいる病室に戻った。


「コータ」
 サチのかすかな声に俺は涙が出るほど嬉しかった。もしかして、サチが再び意識を失っていたらと不安だったが、サチは少し顔色が良くなり、ちょうど終わった点滴の針を抜針してもらっているところだった。
「先生が、点滴が終わったら退院だって」
 俺が言うと、サチは無言で頷いた。
 もともと、洋服のままブランケットに包まれて病院にやってきたサチだったので、着替える必要もなく、すぐに支払いを済ませて病室を後にすれば退院ということになるのだが、サチは起き上がることもできないので、俺は再びサチをブランケットにくるんで抱き上げた。
「先生から、カフェエリアが解放されているから、そこに避難していたら良いって言われたから、そこに行ってみよう」
 腕の中のサチに言うと、俺は病室を後にした。
 支払いの事を確認しようとナースステーションに寄ると、支払いは後日でよいと言われたので、俺はそのままエレベーターホールに向かったが、話に聞いていた通りエレベーターが来なかったので、俺はサチを抱いたまま最上階にあるカフェレストランへ向かった。


 怪我人や避難してきた病人を受け入れているとはいえ、病院内に詳しくない避難者は一階のカフェと待合室に押し掛けているようで、階段を上らないとなかなかたどり着けない最上階にあるカフェレストランには、まだまだ余裕があったので、俺はサチを連れて窓から遠い、暖を取りやすい場所を探して椅子にサチを座らせた。
 カフェレストランにも大型のテレビが設置されており、そこには闇に包まれ始めた被災地とインフラが絶たれ、電気の無い街にオレンジ色の火柱を立て、爬虫類の舌のように不気味な動きをする炎に照らし出された煙が白く立ち込めていた。
「コータ・・・・・・」
 テレビの画面を見たサチが俺に縋り付いた。
「すごい地震だっただろ。あれは、東北の方の地震だったらしい」
 俺自身、さっきテレビで見て知っただけのことを、サチに説明するのは難しかった。
 せっかくゲットした席だったが、テレビの画面が視界に入るせいでサチが怯えるので、俺はもう一度サチを抱き上げると場所を変えた。
「コータ・・・・・・」
「どうした、サチ?」
「もう一度、逢えてよかった」
「何言ってるんだよ」
 俺はニュースの音声が聞こえなくなるようにと、スピーカーとMP3プレーヤーを取り出した。
「すごいな、サチ。全部持って逃げたなんて」
 俺は言いながらサチの好きな曲を再生し、隣に座るサチの肩を抱き寄せ、俺の肩にスピーカーを載せるようにしてサチに聞こえるようにした。
「おばさんたちは? おじいちゃんは?」
 自分が助けたことを覚えてないのか、サチは心配そうに俺に尋ねた。
「大丈夫。俺がサチのところに行ったときは、みんな道路に避難して無事だった」
「どうやって、ここまで来たの?」
 普通に考えれば、佐伯先生のところに行くのが普通で、電車を乗り継がないと来ることのできない中嶋先生の病院にいること自体、サチにとっては多分、驚きの連続だったのだろう。
「タクシー使ったの?」
 お金のことを心配しているだろうサチの問いに、俺は頭を横に振った。
「タクシーもつかまらなくて、困っていたら、親切な人が車で送ってくれたんだよ。だから、退院したら、お礼に行こう」
 俺が言うと、サチは不安げな表情を浮かべてから、無言で頷いた。
「体が、重い・・・・・・」
「避難するの、大変だったから、疲れたんだよ」
 俺の言葉を聞きながら、サチは俺の手をしっかりと握った。
「コータ、お願い。絶対に手を話さないで」
「離さないよ。何があっても絶対に放さない」
 俺はしっかりとサチの手を握り返した。
「少し、眠くなっちゃった」
「俺も、サチがこうして手を握ってくれて安心したら、眠くなってきたよ」
「寝ても良い?」
 サチの言葉に俺は頷くと、肩に載せたスピーカーを足の上に載せなおし、サチが俺に寄りかかり、俺がサチを抱きしめるようにして二人で身を寄せ合った。
「コータ、ありがとう」
 サチは言うと俺を見上げた。
「コータ、愛してる。世界で一番コータが好き」
「俺も愛してるよ」
 サチが唇を寄せるから、俺とサチは触れ合うだけのキスを交わした。
「コータ温かい」
「サチも温かいよ」
 サチは体力が落ちているから、すぐに静かな寝息を立てて眠り始めた。そして、その寝息を聞いていると俺はサチが生きていると、サチが眠っていると安心できるから、俺もつられて眠りに落ちていった。


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