君のいた時を愛して~ I Love You ~
 やかましいアラームの音に俺は寝不足でかすむ頭を振りながら体を起こした。
 もう居なくなっているかと思ったサチは、器用にも俺が最後に見たときと全く同じ姿でアラームも聞こえていないように眠っていた。
 俺はサチを起こすのが可愛そうになって、アラームを手探りで止めた。
 夜勤明けの日勤は、さすがにこたえる。
 朝五時まで、工事現場で交通整理をして、十一時半開店の定食屋でランチタイムの激戦をこなす。それが終わったら、週四日はスーパーのバイトにはいる。そして、うまく仕事が回ってくれば、夜間の交通整理のバイトを夜に入れているが、基本はランチタイムとスーパーのバイトで食いつないでいる。
 定食屋は、昼だけの応援要員として時給に色をつけてくれているが、スーパーは主婦と高校生との奪い合いの狭間で何とか時間枠を掴むため、規則的どころか、かなり不規則な時間で働くことになる。それでも、時給は高校生より三十円高いだけで、固定で入っているパートの女性よりは二十円安い。パートの女性はお金の勘定や書類仕事が大いいが、ほんの二十円の違いで俺と高校生は在庫の搬入と入れ替え商品の搬出で、毎日合計すると数百キロになりそうな箱を運ばせられる。
 ペットボトルも一本二本なら可愛いが、さすがに二十四本入ると腰にくる。それを平気な顔して運ぶのが俺の仕事だ。下手にレジの代理を頼まれると、商品の扱いが雑だとか、卵にヒビが入ったとかクレームを受けることになるから、レジ応援の要請が入ると高校生のバイトを体力仕事から解放してレジに送るようにしている。
 こんな俺だって、機械に弱い訳じゃない。もともと、自動車の組み立て工場で働いていたし、フォークリフトの運転もできるが、そんなのは巷のスーパーでは何の役にも立たない。なんとかっていう、外国の倉庫を改造したようなスーパーでなら、役に立つのかもしれないが、名前も知らないし、どこにあるのかも俺は知らない。
 これから、キチガイになりそうなくらい大量のオーダーを記憶するため、俺はベッドから下りると流しで顔を洗い、おまけで頭にも水をかけた。
 定食屋なので、工事現場の汚れが残っていては困るからだが、頭を洗う時間はないので、寝癖を直す時より少し多めに水をかけて頭をぬらす。そして、手拭き代わりのタオルで顔と頭をまとめて拭く。真冬でなければ、定食屋に着く前に髪の毛は程良く乾くし、乾かなくても仕事用の日本手拭いで頭を縛れば、誰にも迷惑はかからない。
 濡れたタオルを干して振り向くと、目覚めたサチが俺のことを見つめていた。
「腹減ってないか?」
 今朝、帰ってきたときは疲れが限界で空腹を感じなかったが、一眠りしたいま、空腹は他人事ではなく俺自身の問題になっている。
 気持ちばかりの小さな冷蔵庫をあけると、スーパーで貰った賞味期限切れの食パンが四枚残っていた。
 正確に言えば、貰ったときは賞味期限が切れては居なかったのだが、あと数時間で切れるからと、廃棄物ようのバケツに入れずに処分済みの印を押して貰ってというのが正しい。
 俺が働いているスーパーでは、賞味期限が切れる食品は基本的に巨大な廃棄物入れに食品だけを入れることになっている。つまり、廃棄するのにパックから出したり、容器を別のゴミにして出す手間がかかるのだ。それもあり、きちんと期限が数時間で切れることを確認して貰った印を押して貰えば、帰宅時に持って帰らせて貰える。それは、店舗単位で廃棄量の少なさを競っていて、廃棄量が少ないと店長が表彰されるという仕組みのたまものだが、前の店長の時は出来なかったとパートの女性が話していたから、いつまで食費を安く抑えられるかは店長次第と言うことになる。
 俺は返事をしないサチに構わず、コンロの上に魚や気グリルを載せ、弱火で火をつけ、いつもの癖で着ているTシャツを一気に脱いだ。
 その瞬間、何を勘違いしたのか、サチがビクリと体をふるわせた。
「驚かして悪い。仕事に遅れそうなんだ」
 俺は言うと、ベッドの下から定食屋のロゴと魚拓のような魚のプリントに『鰆(さわら)』と書いてある白地のTシャツを取り出して着替えた。
 オーナーさんの趣味らしく、バイトは『鮪(まぐろ)』『鰆(さわら)』『鯛(たい)』『鯵(あじ)』『鰯(いわし)』『鮎(あゆ)』『鱒(ます)』『鱈(たら)』という魚の名前で呼ばれている。ちなみに、オーナーはなぜか『鯰(なまず)』だ。もちろん、オーナーを『鯰(なまず)』と呼ぶ奴は誰もいなくて、普通は『大将(たいしょう)』と呼んでいる。
 俺の場合、直前に辞めた人が『鰆(さわら)』だったから、それを引き継いだわけだ。噂では、オーナーが自分で釣った魚の魚拓を使ってTシャツを作っているという言われているが、仕事以外の会話をオーナーとしたのは面接の時だけなので、ことの真偽は俺にはわからない。
 Tシャツを着て、程良く温まった魚焼きグリルに食パンを載せて強火にし、上からフライパンをかぶせる。
 トースターなんて洒落た物を買う余裕も置く場所もないから、俺はこうやってトーストを焼く。
 途中で裏返すタイミングを間違うと、片面が黒こげになるが、焼けることに間違いはない。
 パンが焼けたところで魚焼きグリルをどかしてフライパンを火にかけ茶碗二杯分の水を注いで湯を沸かす。地熱の再利用ならぬパン焼き熱の再利用と言えばカッコいいが、単に一分でも長く寝ていたい俺の苦肉の策だ。そして、煮たったところで紅茶のパックを投げ込んで火を止める。
 別に朝食にお洒落さを求めているわけではないが、パック入りの紅茶は安価で手には入りやすく、日本茶みたいに熱湯に投げ込んでも苦くならないので朝食時に利用している。
 手で触れる温度に下がったトーストにジャムとマーガリンの一体パックの中身をパンに中心線をかくように捻り出す。皿も一人分しかないので、パンを載せた皿をサチの方に渡し、フライパンから紅茶をお椀と茶碗に注ぐ。皿がないので、俺は仕方なく魚焼きグリルを皿代わりにして食べることにした。
「ろくな食いもんなくて悪いな」
 俺は言うと、マーガリンとジャムの線を中心にパンを二つ折りにして齧りつく。サチも見様見真似で、同じ様にパンを半分に折って噛みついた。
「美味しい・・・・・・」
 サチの言葉に、俺は耳を疑った。
「こんな美味しい朝食、久しぶり・・・・・・」
 確かにサチは『美味しい』と言った。
「あ、そっちにティーパック入ってたら流しに出してくれ」
 俺が返事に困って言うと、サチはお椀に口をつけて紅茶を飲んだ。
「トーストに紅茶なんて、こんな素敵な食事、私、生まれて初めてかも・・・・・・」
 サチはお椀の中を見つめた。そこに何を見ているのかわからなかったが、俺はサチをこの部屋から追い出したら、それは雇い止めして、寮からも俺達を追い出した非道な社会の仲間になってしまう気がした。
「こんな部屋でよければ、好きなだけ居て良いから」
 俺の言葉にサチが驚いて顔を上げた。
「俺、もう仕事に出るから。鍵は閉めたって扉はずして入れるようなちゃちな作りだし、盗るものっていったらフライパンくらいだし、出て行きたくなったら、鍵とか気にしないで出て良いから。日中は、下の玄関も鍵あきっぱなしだし」
 簡単に説明すると、俺は残ったトーストを紅茶で飲み下し全財産の入ったバッグを片手に部屋を後にした。
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