君のいた時を愛して~ I Love You ~
 コータが出勤できなくなってから、毎日、早めに出勤するようにしているサチは、少しでもコータの代わりに役に立つようにと、流れとして覚えている仕事を細かく確認しながら今日のメニューの確認、テーブル番号と配置の確認を続けていた。
「まだ、コータの奴は具合悪いのかい?」
 大将に問いかけられ、あわててサチは大将の方を振り向いた。
「すいません。まだ、熱が下がり切らなくて・・・・・・」
 謝るサチに、大将が笑みを浮かべた。
「なんだが、さっちゃんは、コータの嫁さんみたいだな。コータの熱が下がらないのに、さっちゃんが謝るなんて・・・・・・。ここだけの話、二人は付き合っているんだろ?」
 大将に問われ、サチはコータの許可を得ないまま大将に二人のことを話すのを躊躇ったが、大将をごまかすのは難しそうだったので、サチは嘘にならない範囲で本当のことを答えた。
「私は、コータの事が好きなんです。でも、コータには昔好きだった人がいて、その人とは結婚も考えていたみたいで、私は、まだまだです」
 サチが答えると、予想していなかった答えに、少しだけ大将は寂しそうな顔をした。
「俺は、コータが昔好きだった相手がどんな人かは知らないが、さっちゃんとコータは似合いだと思っているぞ。たぶん、コータの奴、自分の気持ちを素直に口にできないだけだろ。心配するな、そのうち、ちゃんと白黒つけてくれるさ」
 大将は言うと、そのまま厨房に運び込まれた夜用の魚の鮮度を確認し始めた。
 サチは上着を脱ぎ、『小女子』Tシャツ姿になった。
 厨房でスタッフミーティングが始まり、メニューの最終確認、『鰆』ことコータ不在の『小女子』ことサチのサポートをどのように行うかなど、丁寧に進められ、暖簾出しの掛け声で暖簾が出されると、外で待っていたお客がどっとなだれ込んできた。
 お客を先に案内し、まずお茶を出してオーダーをとる。そして、定食と一緒に味噌汁と箸、おしんこをまとめて運び、お茶がなくなるタイミングでお茶を注ぎ足す。
 会計にお客が立ったら、すぐにトレイを下げて次のお客に備える。
 簡単なようだが、テーブルは相席で満席、しかも、狭い通路には定食のトレイと大きな急須を持ったスタッフが行き交うさまは、まるで通勤時間の電車の乗り降りにも似た緊張感がある。ミスをすれば、お客に迷惑をかけてしまうことになるし、もたもたすれば、待たせるという形でお客に迷惑をかけることになる。そのこともあり、コータのいない間のサチの責任はかなり重い。コータならば、難なくすれ違える場所も、サチでは背が低くてうまくすれ違うことができず、トレイをもって立ち往生することもしばしばだった。それでも、必死に頑張るサチは、愚痴も悪口も、それから泣き言も言わないので、先代の小女子に比べればみんなの信頼も厚く、コータの不在時のカバーは誰がという決まりを作らなくてもみんなが自然とカバーしてくれていた。
 怒涛のランチタイムを終え、みんなが賄いを食べに裏に下がっても、サチは一人残ってテーブルの位置や椅子の位置を調整し、夜に備えてテーブルに設置されている醤油や薬味の入れ物を夜用に交換した。
「小女子ちゃん、そんなの後でやるから、早く賄い食べにおいでよ、冷えちゃうよ」
 先輩の『鱈』さんが声をかけてくれ、サチは『もう終わります』と返事をすると、最後の二席を整えて裏に入った。
「小女子ちゃんって、ほんと細かいところに気が付くよね」
 『鱈』の言葉に、賄いを食べている残りのメンバーも頷いた。
「先代とは大違いだよなぁ。」
「そうそう、最後は泣きながら辞めますとか言っちゃってさ、俺たち悪者扱いだったし」
 それぞれが思い思いの事を口にするのを聞きながら、サチは少し冷えかけた丼を手に取った。
「いただきます」
 一声かけてから賄いを口に運ぶ。
 サチは、この店で働き始めるまで正直あまり海産物は好きではなかったが、この店の賄いはおいしく、今まで自分が食べていた魚がまずかっただけで、本当はおいしい物なんだと考えを改めたほどだった。
「美味しい!」
 サチが顔をほころばすと、厨房で夜の支度に入っていた板前の一人が嬉しそうに笑顔を返した。
「小女子ちゃん、今晩、夜はいれるかな?」
 いきなりの大将の言葉に、サチは驚いて大将の方を向いた。
「鰆もそうだけど、夜のスタッフにもインフルが出てね。何しろうちは夜は料亭だから、ノロとインフルは出勤停止ってのがルールなんだけど、二人もインフルになるとは思っていなくてね。今日は、十名のグループ予約が入っていて、二階の座敷も開けるんだけど、そうなると手が足りなくてね」
 大将の言葉にサチはしばらく考えた。
 連絡が途絶え途絶えのコータと連絡が取れるのは夜が多い。もし、サチが店に出ていたら、大切なコータからの連絡を逃してしまう可能性もある。
「あ、そうか。小女子ちゃんは鰆の看病があるか。ごめん、ごめん」
 大将の言葉に、サチを狙っているメンバーの瞳がギラリと光った。
「なんですか大将、それ。鰆の奴、小女子ちゃんに看病させてるんですか?」
 食って掛かるように言うスタッフに、大将が不気味なくらいの笑顔を浮かべた。
「ちげーよ。鰆に早く治ってもらわないと困るから、俺が小女子ちゃんに頼んで看病してもらってるんだよ。それよか鮪、お前出られるか?」
 突然話を振られた『鮪』は、賄いを食べながら器用に片手でいじっていた携帯の画面を覗きながら頷いた。
「あ、今日は夜のバイト休みなんで大丈夫です」
「じゃあ、鮪に頼むことにするわ」
「大将、ちょっと用があるんで、一度抜けて、戻ってきます」
「了解!」
 すぐに承諾しないサチの間を断る理由を探していると察した大将の優しさに、サチは涙が出るほどうれしかった。
 思えば、この街に来てからサチが知り合ったのは、みんな優しい人ばかりだった。
 行く場所のない自分を拾ってくれたコータ、大将、癖はあるけれど優しい定食屋の先輩たち、リサイクルショップのおばさん。サチが知っている誰よりも、みな優しく良い人たちばかりだった。
「じゃあ、小女子ちゃん、鰆の事たのんだよ」
「はい。頑張って、早く治るように看病します」
 サチは笑顔で答えると、残りの賄いを食べ始めた。
「お先に失礼します」
 食べ終わったメンバーから順番に一声かけてロッカールームに下がり、着替えては帰っていく。この定食屋で働いている時間以外、みんなが何をしているのか、本名を何というのかもサチは知らなかった。
 サチも賄いを食べ終わると、器を丁寧に洗った。
 女性用のロッカールームがないため、サチはコータと同じでいつも家からユニフォームである『小女子』Tシャツを着てきているので、先輩たちの着替えの間にさっと上着とカバンをロッカールームの入り口から取り、みんなに挨拶して店を後にした。
 いつもなら、コータと一緒の帰り道も、一人だと寂しく、いつもの三倍くらい長く感じられた。

☆☆☆

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