手の平にキスを
不気味な同居人



会社から自宅マンションに帰る。

右手に下げていたレジ袋を左手に持ち替えて、集合ポストを覗き封筒とチラシを確認。暗証番号で開けて中身を取り出しチラシは用意されているゴミ箱に放り込み、三つの封筒の宛名を見た。

一つは俺宛、紳士服店のDMだ。

残り二つは同居人宛、どちらもクレジット会社からだな。

エレベーターで6階へ、三つ目のドアが俺の家。まあ正確には同居人が家主であり、俺は居候、いやルームメイトなんだが。

部屋に入るとまっすぐキッチンへ行ってレジ袋を置く。買い物は俺の担当、大抵の荷物は家主がネットスーパーを利用しているが、それでも買い損ねた物があったりすると買ってきて欲しいと、朝書き置きがあったり昼間にメッセージが来るので買って帰る。

それから同居人の自室を訪ねる、リビングから見える二つのドア。
一つは外出時には開けっ放しの俺の部屋、もう一つの閉じられた木製の引き戸は、開くことがない同居人の部屋。

ノックした。

「はい」

微かな声の後、引き戸が5センチほど開く。

「お帰りなさい、鷹栖(たかす)さん」

こもって低く聴こえるが、女の声だと思う、若くも感じるがどうなんだか?

「ただいまです、近藤さん。お手紙来てました」
「ありがとうございます」

ドアの向こうの暗黒から──正確には暗幕のカーテンの隙間から、白い手がにょきと現れて手の平を見せた。その手の感じからしても、若い女だ。
俺がそこに封筒を乗せるとすぐに封筒を掴み再び暗黒に消え、もう一度礼を述べて、引き戸が静かに閉まる。

俺は溜息を吐くしかない。

一緒に住み始めて一年あまり、俺は同居人の顔を知らない。

きっかけは、俺の就職。地方から東京に出るのに、住まいが必要だった。

ネットで調べていたら、ルームメイトの募集を見つけた。

場所は俺の会社の五つ隣の駅。10階建てだと言う立派なマンション、男女不問、年齢不問の有難い募集だった。

これ幸いとばかりにメッセージを送る。

思えば返信のメッセージから奇妙だった。

『応募ありがとうございます。
いくつか質問やお願いしてもいいですか?

お仕事は昼間のお仕事ですか? 職種はなんでもいいです、規則正しいお仕事ですか?
家事の分担をお願いしたいのですが、いいですか?
夜ご飯は作ります、朝ご飯をお願いしたいです。
それとお部屋の掃除も。
私の自分の部屋はやるので、リビングなど共用部分お願いしたいです。
お風呂は私が洗います。

それと、私は対人恐怖症です。外出も怖いのでずっと部屋にいます。なので買い物もお願いしたいです。

そして私の部屋には決して入らないで下さい、私の顔を見ないでください。
それらを受け入れて下さるなら、ルームシェアお願いします』

──はあ。

まあ赤の他人と住むなら、様々約束事はあるだろう。しかしなんつうか、制約多くね?

同居人の顔も判らないのは困るが、相場の半額以下の家賃に、水道光熱費も含むと言う謳い文句に惹かれて、俺はルームシェアを頼む。

ひとつだけ、確認事項があった。

『一緒に住むのに、顔も見ないで過ごせる自信はないですよ? もし見てしまったらどうなるんですか?』

返信は早かった。

『その時考えます』

要するに彼女は見られない自信があるんだ、現に住み始めて一年余り、俺は彼女の白い手しか見ていない。

名前は近藤ひろみ。
さっきから彼女とは言っているが、女だと言う確証もない、よりによって名前も中性的だよな。
年齢は知らない。
でも唯一知っている手からは、病的な程白くて細いが若さは感じる。
仕事はゲームのグラフィックデザインを在宅でやっていると言っていた。

対人恐怖症の引きこもり故、ずっと部屋で黙々と作業しているが、一人きりでそんな事をしていると、今日が何月何日で季節も天気も判らず、時に時間の感覚すら無くなるので、自分に喝を入れる為に同居人を探していたと言う、俺で十人目だと言っていた。

しかしどいつもこいつも長続きしないそうだ。そりゃそうだろ、硬くなに手しか見せない同居人は怖い。

人前に出られない容姿なのか、顔に大火傷を負っているとか?

そんな良心的な事も思っても見たが、やはり不気味だ。

でも彼女は宣言通り、家事に手抜きはしない。

どうやら俺の起きる気配で朝を感じているようだ、そして平日は俺が会社にいる間に分担の家事をこなし、なんと洗濯もやってくれている。

正直下着も干されているのは恥ずかしいが──有難いから目は瞑る。

そして昼間のうちに夕飯の準備をしていてくれるらしい。それを夜、俺は有難くも一人淋しく頂き、彼女が綺麗にしてくれた風呂でシャワーを浴びて寝る。

いつもの毎日、おかしいと思いつつも、淡々と過ぎる毎日。

休日などはお互い予定を擦り合わせる、基本的には俺の予定を公開するだけだ、外出しない日は自分の部屋に閉じこもりになる、この家はリビングにテレビはない。
彼女もトイレに行ったり水は飲んだりするから、リビングでは寛ぐなと言う事だろう。

家主が手しか見えない不気味さはあっても、やはり中々の好待遇に、俺は恐ろしいことに馴染んでいた。

(でも挨拶の時くらい、顔を見せてくれても良かったのになあ)

それは初対面の時の話だ。

その時すら、彼女は自室のドア越しだった。俺は本当にひと目すら彼女を見ていない。

初めは、見たら「うわ!」と言ってしまうほどの醜女なのかと思っていた、でも段々と想像は美少女に変わっていく。アニメキャラだったり、アイドルだったり。

な? アイドルだったら顔見せNG、有りうるだろう? テレビでわーきゃー言われてるのに、実は新卒の男と同棲してるなんてスキャンダルじゃん。

なーんて、しょうもない妄想をしつつも。人はこんなにも隠れていられるのだと、むしろ感心もしている。



***



そして。

その日はたまたま、外出先からの直帰だった。

入社から一年経って、ようやく外回りを一人でやらせてもらえるようになってそんな事もできるようになった。

買い物を済ませても、いつもより小一時間ほど早い帰宅になった。

いつものように、集合ポストで郵便物を確認。
同居人に密林からの荷物が入っていた、俺にはDMが二通……。

それらを持ってエレベーターで6階へ。三番目のドアにキーを指して回す、ダブルロックだ、上下とも開けて、と、おっと、DMを落としてしまった、拾い上げてドアを開けると──。

目の前に裸の女がいた。一糸纏わぬ姿で、玄関左手にあるドアを後ろ手に閉めたところだった、そこはバスルームだ、裸である事に違和感のないところだが。

いや、待て。

裸で出てくるのはおかしいだろ? つか、この人がこの家の主?

小柄だが20代後半と思しき美女だ。しかもナイスバディ、ごめん、男のサガだ、視線は上から下まで見て、膝からまた上に戻った。

胸まで戻った時、

「きゃあああ!」

いつもとは違う可愛らしい声で叫び、その場に体を抱えて座り込んだ。

その声にはっとする。

「ご、ごめん!!!」

散々見てしまった、ごめんっ!
慌てて目を手で覆った。

「た、鷹栖さん!?」
「はい、そうです!」
「な、なんで今日はこんなに早く……!」
「済みません! 仕事の関係で……近藤さんはなんで、は、は、は、裸で……ら、裸族なんですか!?」

だから、姿を見せられなかったとか!?

「ち、違います……っ、ごめんなさい! 下着を忘れて、取りに行こうと……!」

指の間から、その姿を盗み見た。

床に伏せの状態でいる小さな背中が丸くなって震えていた、細い手からは想像つかないほど、肉感的な体──くびれた腰とそれより下の白くて丸い尻が……。

俺は鞄など荷物を投げ出し、慌ててジャケットを脱いでその背中を隠した。

「た、鷹栖さん……っ」
「いつもと違うことして済みませんでしたっ、俺、部屋に居ますから!」

靴を蹴るように脱いで中へ入ると、大股で廊下を抜けリビングを抜け自室に飛び込んだ、リビングは煮物のいい匂いがした。

あーやばい。

俺はドアに寄りかかり、天井を仰ぎ見て心を落ち着かせる。

醜女とか思ってごめんなさい、でもなんであんなに可愛いのに引きこもりなんて。

聞いてねえよ、あんないい女だったなんて。

ラッキー、と思うと同時に、これから先、俺は平穏無事に生活できるか不安になった。

出て行ったルームメイトも彼女の正体を知ったからではないかと思えた。

不気味だと思ってたあの手の持ち主が、あんな美人ってないぜ?

あーマジで、とんでもない同居人だ……!

そんな気配もさせずに一年間も。

そんな事も知らずに一年間同居してた俺は、とんでもない唐変木だ。

現れた手を掴んで、ぐいと引っ張り出してしまえばよかった……いやいや、彼女は姿を見て見せたくなかったんだから、そんな事したらダメだ。きっと欲望に任せてそんな事していたら、今頃彼女はツルの恩返しの如く居なくなってしまっただろう。

落ち着け、落ち着け。

顔を知られたくなかった彼女の顔を見てしまった、と言う事は俺は追い出される可能性が高いぞ。

それは回避したい、なんせまだ引っ越し資金など貯まっていない、うん、それを言い訳にまだ居させてもらおう。

その間に懐柔だ、あんな美人と暮らせるなんて役得だぞ。

今まで通り暮らしましょう、うん、それでいい、そしてそのうち、むふふな事に……。

などと、下らない妄想を膨らませているうちに、随分時間が経ったらしい。

トントン、と控えめな音でドアがノックされた。

「あ、はいっ! 今……!」
「そのままで聞いてください!」

彼女の悲痛とも言える声がした。

「あの! 醜態晒してごめんなさい! 忘れてください!」
「忘れるって……。」

俺は呟きながらドアに近付き、傍で耳を澄ませた。

忘れるなんて無理だよ、床で小さくなったあなたの姿が脳裏に焼き付いてるよ。

「私、鷹栖さんとの生活は、とても気に入っています!」
「──え?」
「鷹栖さんは一年も私との約束を守ってくれました! とても嬉しいです! できればこのまま、鷹栖さんと暮らしたいです!」
「え、でもさ、もう顔見ちゃったから、その約束は少し変えても……」

一つ屋根の下暮らしてるのに、顔も見せないすれ違いみたいな生活ってどうなんだよ?

「嫌なんです!」

強固な意志を感じる言葉は、一年前と変わらない。

「誰かに見られていると思うだけで死にたくなります……! お願いです、今まで通り暮らしましょう!」
「嫌だ、って言ったら?」

俺はドアを撫でながら言った、この向こうに彼女がいる、彼女が自分の部屋以外の場所にいるのは初めてだ、新鮮だった。

いつもと逆の立場──俺は今ここから出たい、彼女もいつもそう思ってたんじゃ……!
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