ご主人様は、イジワル侯爵!?~危険で過保護な蜜月ライフ~
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お姉さまが寝室から起き出すのと時を同じくして、ルドモンドも帰宅した。

なんとか昼食の支度が間に合った事に、私はほっと安堵の息を吐いた。

ルドモンドとお姉さまの前に皿を置く。二人がいつも通りに食べ始めるのを見て、私も厨房に戻り昼食をとった。

一人の食事を寂しいとは思わなかった。

ルドモンドとお姉さまの食卓に加わりたいとは、とても思えなかった。

畑仕事に精を出し、待ちに待った昼食は、一人だろうがなんだろうが、文句なしに美味しい。

自分の昼食を終えて、ルドモンドとお姉さまのお皿を下げに食堂に戻る。

すると珍しく、食べ終えた二人がまだ食卓にいた。……こりゃ、出直しかな。

「また、参ります」

そそくさと頭を下げ、戻りかけたところを、ルドモンドに止められた。

「待てシンシア、お前に話がある」

呼び止められ、ビクンと肩が揺れる。

「はい」

嫌な予感がした。けれどルドモンドに逆らえるわけもなく、私は従順にとどまった。

「お前を上女中として、屋敷に引き受けたいと言って下さった紳士がいる」



あまりにも唐突な内容だった。聞かされてすぐには、理解が追いつかなかった。しかしひと呼吸置き、その内容を呑み込めば、あまりの怒りで目の前が真っ黒に染まった。

「なんだ? 嬉しさに声も出ないか?」

……ふざけるな! ふざけるなっ!!

ニヤニヤとしたルドモンドの笑みに殺意が湧く。これまでも大嫌いな義兄だった。けれど、お姉さまの選んだ夫だから、涙を呑んで耐えてきた。

どこまで人を、馬鹿にするのか!

「あ、」

「ルドモンド、貴方の人脈には驚かされますわ。あぁシンシア、良かったこと」 

!?

けれど、本当の絶望はその後に訪れた。

私の言葉に重なるように発せられたお姉さまの言葉が、私の心を千々に切り刻む。

「ユリアーナよ、その方は有難くも準備金まで用意して下さるというんだ。かなりの金額を提示されている。それを投資の元金とすれば何十倍にも増やす事が出来るぞ」

「まぁルドモンド、なんて素晴らしいのでしょう」

ガクガクと意思に反して体が震えた。

「お、お姉さま……これが私にとって良いと、本気でそう思っているのですか?」

「まぁシンシア、もちろんよ。こう言ってはなんだけれど、貴方はその髪色でしょう? それを準備金まで用意して、上女中に欲しいと言って下さる殿方なんておりませんでしょう?」

常になく弾む姉の声に血の気が引いて、指先が冷たくなった。

ふらつく体をなんとか踏ん張って、立っているのがやっとだった。

どれだけ私を馬鹿にした発言か、お姉さまは分かっていないのだろうか。

実の妹に妾に甘んじろと、お姉さまはそれが私にとって良い話だと、本気で思っているのか。

これまでずっと根底に持っていたお姉さまへの親愛の情が、見事に裏切られた気分だった。私の中の何かがガラガラと音を立てて崩れていく。

「お姉さま、このお話しは……」

それでも何とか断らねばと、震える手でお姉さまの腕に縋った。

「シンシア!! 俺がやっと話を付けたのだぞ! 異を唱えようなどとゆめゆめ思うな! 一週間後にお前は先方のお宅に上がる! せいぜい身綺麗にしておけ!」

ルドモンドの怒鳴り声。同時にドンと胸をどつかれて、私は踏ん張れずに床に頽れた。

お姉さまは倒れる私に手を差し伸べてはくれなかった。

「ルドモンド、乱暴はおやめになって」

お姉さまは床に倒れ込んだ私をそのままに、息巻くルドモンドに縋った。

「フンッ! ユリアーナの妹だと思えばこそ、赤毛のお前を屋敷に置いてやったんだ! その恩に報いようと何故思えんのだ!? この恩知らずが!」

「あぁ、ルドモンド待ってちょうだい! ……シンシア、いい子だから我儘を言わないで? 貴方は急なお話しで動揺しているのよ、少し頭を冷やしなさいな」

ルドモンドは捨て台詞を吐いて部屋を出た。お姉さまは当然のようにルドモンドに付き従った。







もしかしてお姉さまは、上女中の意味を分かっていないの? ……そんな訳、ない。

男性からこんな望まれ方をして、それが本当に使用人としての役割だなんて誰が思うだろう?

「……妹がお妾さんとして望まれて、それが本当にいい話? そんな訳、ないじゃない!」

悲しかった。お姉さまが私に向けるそれは、家族の情とは程遠い。その事が、あまりに切なかった。

伯爵令嬢としての矜持なんて、元々持ち合わせてはいない。

けれどこれは、それ以前。女としての尊厳の問題だ。

どこの娘が準備金と引き換えに、買われるように男性に仕えたいと思うのか。……いや、買われるように、ではない。

私は、買われるのだ。

「うっ、うぅぅぅっっ! お父さまっ、お父さまぁっ!! う、うっ、うっっ……!」

その日からどうやって一週間を過ごしたのかは覚えていない。

ただ、私の回りには常にお姉さまかルドモンドの眼があった。私が間違っても家を出たりしないように、見張っていたのだろう。

家を出ようかと、何度も考えた。私が本気になれば、お姉さまの制止など、あってないような物。

けれど、この家を出た私がどうやって生きていけるというのか。

それは結局、私を買いたい別の男性に身を任せる生き方にしかならないと思った。女の身で一人、生きていく事は不可能に近い。

泣いて、泣いて、泣き尽くして……。

一週間後、涙は全て枯れ果てた。もう、一滴の涙も出なかった。

「……お妾さん? いいじゃない。望むところよ。……こんな赤毛を妾にしたいなんて奇特な男性?」

むくりとベッドから身を起こす。

「あはっ、あはははははっ! いいわよ、構わないわよ!! 私が手玉に取って、転がしてやるわよ! それにこんな家、私の方から願い下げよ!! あはははははっ!!」

私は仰け反って、狂ったように笑い転げた。

「あは、あはははははっっ!! ……ははっ、私には所詮、幸福な結婚をする未来なんてなかった。それが結婚という形すらなくなった。ただ、それだけの話よ……」

枯れたはずの涙が何故か、一滴珠になって落ちた。

ポタリと床に落ち、雫は弾けて散った。弾け散ったそれは、私の心。

……腹は、決まった。私が、決めた。



支度を整え、十七年住み慣れた屋敷の玄関を出た。

「ねぇシンシア、たまには便りを頂戴な?」

お姉さまのうっそりとした笑みが、薄ら寒く感じた。

「……お姉さま、今までお世話になりました」

昨日のうちにもう、お父さまとミャーゴの御前には挨拶を済ませてる。だからもうこの屋敷に感慨は、心残りはない。

「ふふふ、ご主人様によくしていただくのよ?」

「……」

屋敷前に寄せられた迎えの馬車に乗り込んだ。形ばっかり見送りに出ているルドモンドにもお姉さまにも、私はもう一瞥だってしなかった。

もう、家族なんかじゃない。

自分で決めた。だけどそれが、どれほどの涙があっての決断か、お姉さまには分かるまい。

私の心はバラバラに砕け散って、もう繋ぎ合わせる事なんてできやしない。

私とお姉さまの距離は遠く深く、もう、埋められない。






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