Piano~ピアノ~
Piano:重なる想い3
***

 ライブハウスで行う面接の時間が過ぎようとしていた。急がなきゃならないのに、えらく足取りが重い。叶さんの会社から勢いよく飛び出したものの、まだ50mくらいしか進んでいなかった。

「水戸さん、すごくカッコよかったな」

 あんなに素敵な人を俺が忘れさせることなんて、どうあがいたってできるワケがない。

『俺は負け戦はしない。奪う自信があるよ』

 負けるくらいなら、いっそのこと叶さんを進呈した方がいいのでは――

 そう考えてたら、後方からリズミカルな靴音が聞こえてきた。意気消沈した気持ちを抱えながら、何の気なしに振り返る。

「叶さん!?」

 愛しい彼女が顔を真っ赤にして、ズンズンこちらに向かってくるではないか。

「け・ん・い・ちぃ……」

 言い終わらない内に手にしているアタッシュケースで、俺の頬(頭もだよな)を振りかぶって殴ってきた。

「(●д●)!?」

「この馬鹿っ! 何を考えてんのっ!」

 俺も驚いたが周りにいた人もビックリしただろう。バコンって殴られる、大きな音がしたから……。

「何で元カレと密室の中だというのに、二人きりにするの!? 賢一アンタ、彼氏でしょ。彼氏なら看病しないと!」

「ごっ、ごめんなさい……」

 ビクビク、おどおど。叶さんの怒り方が半端なく怖い。

「万が一、何かあったらどうすんの?」

「水戸さん、そんなコトするような人には見えなかったよ」

 怯えながら言うと、叶さんは手にしていたアタッシュケースを力強く地面に叩きつけた。

(ウゲッ、そんなことしたら壊れちゃうよ!?)

「まったく――どこまでお人好しなのよ。見かけに騙されて!」

「だって……」

「あの人だって、君と同じ男なんだよ。もう……」

 どんどんヒートアップする叶さん。

「賢一は私がどんだけ好きか、全然理解してくれないし」

 えっ!?

「その上、見捨てようとした」

 そう言って、俺の胸元を右手で握り絞める。

「そんな権利、あると思ってるの?」

 怒っているのに、どこか切な気な眼差しでじっと見つめる。

「こんなできの悪い彼氏にぞっこんな私を、見捨てるのかって聞いてるんだけど?」

 叶さん……

 気がついたら俺は、ポロポロと涙を流していた。

「ごっ、ごめんな……――さいです。俺、叶さんの気持ちがぜ、全然わからな……くて」

 俺だけ好きだと思っていた。絶対に報われない片想いだと思っていたから。

「誰にも渡ひ……たくないれしゅ……うっく、叶さんが好きだから」

 涙が滝のように流れて止まらない。

「男のくせして何、泣いてんの」

 胸元の右手を今度は俺の頭に移動させて、グシャグシャと撫でる。

「ひっく……叶さんが俺のこと、好きらとか……ぞっこんらとか、スゴいことばかり言ってくれるから……感激……で、涙がとまらなぃれしゅ……」

「もう少し、周りの目を気にしてよ。これじゃ私が苛めてるみたいじゃない」

 さっき公衆の面前で思いっきりアタッシュケースを俺にぶつけた人の言葉とは、到底思えない。

「いい加減に、泣き止んでくれないかな。仕事ができないじゃない……」

 そして俺の唇にキスしてきた。そんな叶さんを強く抱き締める。

「涙の味がした――」

 そう言って、俺の涙を拭ってくれる。

「今まで不安な想いをさせて、本当にごめんね」

「叶さん?」

「もう二度と言わないから、覚えておいて」

「はい……」

「二言目には、まさやんまさやんって言い過ぎ。妬けるから、あんまりベタベタしないでよね」

 睨みながら言う叶さんを、俺は更にぎゅっと抱き締めた。

 どうしよう、今度はニヤニヤが止まらないっ。まさやんにまで嫉妬するなんて、どんだけ俺、愛されてるんだろ。

「もう離してよ!」

「もう少しだけ……」

 そのとき二人の仲を割くような携帯の音がした、俺の着メロだ。

「いっけない、すっかり忘れてた」

 慌てて叶さんを離して、急いで出る。

『おい、俺とのデートをすっぽかすつもりか?』

 キレてるまさやんの声、すっげー怖い……。

「やっ、デートをすっぽかすつもりなんて全然ないよ」

 慌ててまさやんに答える俺に、今度は叶さんがキレる。

「ちょっ……デートって何?」

 ひーっ、誤解が誤解を生んでる。

『けん坊!?』

「賢一!?」

 泣いたり笑ったり青くなったり、短時間で絶対に寿命縮んだに違いない。

 だけど叶さんと相思相愛を確認できたのは、この上ない幸せで。このまま幸せな時間を、ふたりで過ごせると思ってたのに。

 この一年後、叶さんはアメリカへ転勤となった。

 俺は第一志望の企業に晴れて就職。二年間海を隔てて、それぞれ過ごしたのである。
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