いちばん近くて遠い人
「さて。次はお得意様だ。
 気を引き締めてやれ。
 と、プレッシャーを与えよう。」

 また口の端を上げて笑う加賀さんが車のエンジンをかけた。

 そしてお客様の情報を話し始めた。

「大きなグループ会社の経営者でマンション一棟を借り上げて社宅や寮として利用してる客だ。
 経営者だけはある。
 なかなか見る目が厳しい。
 だが、豪快で気持ちのいい人だ。」

 資料には飲食店やアパレル関係など数十店舗を経営しているとある。

「南はタバコいいのか?」

「吸うように見えるんですね。」

「魔女だからな。」

 どういう基準よ。

「加賀さんがお吸いになるのなら気兼ねなくどうぞ。」

「いや、俺はやらない。
 においが付くのが嫌なんだ。」

 意外だった。
 営業といえばみんな、死んだ目をして酸欠の金魚みたいにパカパカやるものだとばかり………。

「魔女も変わったもんだ。」

「………知り合いに魔女でも?」

「あぁ。数人。」

 どこまで本気なんだか。
 仕事の話と同じトーンで話されて横の加賀さんを盗み見る。

 涼しい顔で運転する加賀さんの口元に咥え煙草を想像して、それがものすごく似合っていた。

「着いたぞ。
 あ、おべんちゃらは言うな。
 お世辞なんかが嫌いな人だ。
 まぁ南は言う方が無理か。」

 正しい判断だけれどいちいち癪に触る言い方。

 それに反応した方がこの人の思うツボだろうと平静を装って指摘した。

「ネクタイ緩めたままですけど?」

「あぁ。忘れてた。
 少しの時間でも息をつきたいんだよな。」

 仕事が全て終わってから緩めればいいのに。

 鏡に向かって締めようとした加賀さんが私の方へ向き直った。

「締めてくれない?」

「ご冗談を。」

「それ口癖なの?」

 加賀さんはフッと笑ってまた鏡へ向き直った。

 加賀さんこそなんなの。
 完全に人を馬鹿にしてる。

 けれど、絶対に認めたくはないけれど何故だか心地良かった。








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