水竜幻想
竜神の屋敷は、移ろう四季が楽しめる不思議な庭に取り囲まれている。

瑞々しい葉を茂らせる木々が臨める庭に面した簀子に座り、ようやく覚えた曲を竜神に披露してみた。するとどこからやってきたのか、山鳥や野兎、猪の親子までもが耳を傾ける。

曲が終わっても動物たちは庭から動かずに散策を始めてしまう。
その様子を愛らしいと感じたハルが、ふと眉を曇らせた。

「里には水が戻ったのでしょうか」

何不自由なく過ごす生活の中で忘れかけていた心配が頭をもたげる。
この庭のように豊かな緑を、里は取り戻せたのだろうか。

「おぬしを打ち捨てた者たちを、なぜそこまで気に掛ける」

不機嫌な竜神の問いに、ハルの目は里の山を映していた。

「よそ者の俺をここまで育ててくれた恩ももちろんあります。でも、それだけじゃないんです。まだ滝の水が完全に干上がる前、あの滝のある山は本当に美しかったんですよ。春には山桜が咲き、夏はむせるほど濃い緑に溢れ、秋には紅葉で山全体が燃えたようになるんです。でも、俺が一番好きなのは、雪を被って真っ白になった山が朝日できらきらと輝く様なんです」

今よりもっと幼い頃、里の皆で揃って拝んだ初日《はつひ》を反射した山は、神々しくて美しくて。
その山が徐々に元気を失っていくのを目の当たりにし、心が痛くなった。

「――来い」

竜神はハルの腕を無造作に掴んで引っ立てる。

庭に降り立つと、目の前を眩しい光が覆い、ハルは思わず瞼を閉じる。
光が弱くなったのを瞼越しに感じてゆっくり目を開いたハルの前に、見たこともない生き物がその巨躯を横たわらせていた。

細長い全身は目映い白銀の鱗で覆われ、鋭い爪や角をもつ姿は、恐ろしげでもあり神々しくもある。

「……竜、神様?」

肯定するように咆哮し、竜は長い髭を生やした頭を下げた。

『乗れ』

突如ハルの頭に響いたのは、紛れもなく竜神の声だ。

「そんな、無理です」

神に跨がるなど畏れ多い。
ためらい後退るハルに業を煮やした竜神は、ハルの襟首を大きな口でそっと咥えると、天高く放り投げた。

放物線を描き落下するハルを、竜はその背で受け止める。

『しっかり捕まっておれ』

急上昇を始めた竜に、言われなくてもハルは鬣を掴んだ。
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