初恋の君に真紅の薔薇の花束を・・・
 アーチボルト伯爵家の晩餐は、いつもの伯爵家の晩餐とは思えない明るく賑わいのあるものとは異なり、完全に『家族に不幸がございました』と言わんばかりの、通夜の夜食のような静けさだった。
 食卓に着いたそれぞれの気持ちは異なれど、全員がこの降ってわいた災難としか言いようのない結婚話に困惑し、この世の終わりの様に絶望していた。
 アーチボルト伯爵ルドルフは、長年にわたり陛下から心の友と呼ばれていたのに、それが娘を男装させてアレクシスとして社交界にデビューさせていた、王室侮辱罪、不敬罪などなど、複数の罪状を受けて投獄、最悪は死刑になるかもしれないという絶望を抱えていたし、夫人のアリシアは、自分がもっとしっかりして、まともな娘を二人産んでいればこんなことにならなかったのにと、自責の念に駆られて絶望していた。
 ジャスティーヌは、初恋の王子の結婚相手として双子の妹が選ばれ、自分でなかったことにショックを受けたまま、自分のどこがレディとして足りなかったのだろうかと、日々の自分の立ち居振る舞いを反芻し、陛下のお目にかなわなかった自分の至らなさに絶望していた。
 アレクシス、いや、アレクサンドラと言えば、大切なジャスティーヌに自分の代理を頼むことによって、王子の毒牙にジャスティーヌがさらされてしまう事が腹立たしく、いっそ一晩で髪の毛が伸びてくれれば、明日にでも自分がアレクサンドラに戻り、ジャスティーヌを守ることができるし、レディからは程遠い自分の振る舞いを見れば、すぐに王子は他の貴族の娘に矛先を向け、自分の事などすぐに忘れてくれるのにと思いながらも、髪の毛は一晩では伸びないことに絶望していた。
 ほとんど無言で、微かな陶器に銀のカットラリーが触れる音がやけに大きく聞こえる晩餐を終え、家族が居間に移り、ルドルフがお気に入りのアームチェアに座ってブランデーグラスを傾け、ガラスのローテーブル越しのソファーにアリシアが座ってハーブティーを飲み、ジャスティーヌとアリシアが暖炉脇のソファーとカウチにそれぞれレディと紳士と言った様相で腰かけて紅茶とコーヒーを楽しんでいるところに、今日二度目の悲劇が訪れた。
『アーチボルト伯爵様、ご開門! 国王陛下よりの勅使でございます!』という使者の声は、夜の静けさの中で、昼間とは違い、居間でくつろいでいた全員の耳に届くほど大きかった。
 ギョッとしたルドルフの手からブランデーグラスが滑り落ち、ハーブティーを飲み込もうとしていたアリシアはむせ返り、ジャスティーヌはぎゅっとソファーのひじ掛けを握った。
 ただ一人、アレクサンドラだけが覚悟の表情でカウチから立ち上がった。
「アレクどこに?」
 ジャスティーヌの問いに、アレクサンドラは『僕が使者を出迎えてくる』と言って居間を後にした。
 アレクサンドラが言うのももっともで、本来使者を出迎えなければならないはずのルドルフは蒼白で、代理役のアリシアも咳き込み続けて動けそうになかった。
 このような時、本当は父の代理である母の代理として使者を出迎えなくてはいけないのは、長女であるジャスティーヌだ。ジャスティーヌは思い立つと、慌ててアレクサンドラの後を追った。
 しかし、トラウザー姿で大股で歩くことも、廊下を走るのも自在なアレクサンドラとは違い、幾重にも重ねたドレスにヒールのある靴を履いたジャスティーヌではスピードが違う。
 廊下を抜けてエントランスにたどり着いた時には、既に使者の姿は見えなくなっていた。
「アレク?」
「内容はお父様にお渡ししないと分からないよ。陛下の印で蝋が止められているからね」
 アレクサンドラは言うと、ジャスティーヌの手を取って、来た道を戻り始めた。
「使者の方のご様子は?」
「なんか、大至急だから、必ず今晩中にお父様にお目を通していただくようにって、何度も念を押されたよ」
「まずい雰囲気ではなかったのね?」
 昼間、まるで咎人のように父ルドルフが王宮に連れて行かれた事と比べれば、今回の使者は本当に陛下からの知らせを持ってきただけの使いだったと言える。
「よかった。これで、お父様も少し安心なさるわね」
「さあ、何が書いてあるか分からないから、油断は禁物だよジャスティーヌ」
 アレクサンドラは言うと、ジャスティーヌの肩を抱き寄せた。
 その二人の親密さは、傍から見れば相思相愛の二人のように見えた。
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