初恋の君に真紅の薔薇の花束を・・・
 謁見の間の扉の前に着き、正式に名前を呼ばれるのを待つ間は、もう緊張することはなかった。
『アーチボルト伯爵ルドルフ様ならびに、ご息女、アレクサンドラ様・・・・・・』
 正式な呼びたしの声がかかり、大きな謁見の間の扉がアレクサンドラを招き入れるために開かれた。
 そこからはしきたりに従い、何度も練習を重ねた手順に従い、父と速度を合わせて国王陛下の前へと進み出る。そして、決められた場所までくると、父が立ち止まり、アレクサンドラに合図を送ってくれた。
 その合図に従い、アレクサンドラは限りなく優雅に、そして深々とお辞儀をした。
「ルドルフ、やっとそなたのもう一人の娘を世に引き合わせてくれたか。アレクサンドラと申したな、顔を上げなさい」
 陛下の言葉に従い、アレクサンドラはゆっくりと姿勢を元に戻し、少し俯き加減で顔を上げるのを止めた。
「よいよい、私とルドルフの仲ではないか。顔を良く見せておくれ。ルドルフの娘であれば、世の姪も同じだ」
 陛下の言葉に、アレクサンドラは顔を上げると一段高い玉座に座っている陛下の方を向いた。
「なんと、本当にジャスティーヌに瓜二つではないか」
 驚いたように言う陛下に『父の私でさえ、時に見分けがつかない事がございます』とルドルフが答えた。
「素晴らしい娘を二人も持ち、ルドルフ、そなたは幸せ者だ」
 陛下の言葉は謁見の終わりを告げていた。
 アレクサンドラとルドルフは深々と頭を下げると、入ってきたのとは反対側にある退出用の扉の方に向かって歩き始めた。
「時にルドルフ、今宵の舞踏会のアレクサンドラの相手は誰が務める?」
 突然呼び止められ、ルドルフが慌てて陛下の方に向き直った。
「アントニウス殿にお願いするつもりでございます」
 ルドルフが答えると、陛下は満足したように、何度も無言で頷いた。
「さては、廊下に恋の熱病に侵された甥が現れ、不届きにも、世よりも先に、その麗しいアレクサンドラの姿を盗み見したのであろう」
 アントニウスの行動を知り尽くしている陛下の言葉に、ルドルフは苦笑した。
「はて、そのような方は・・・・・・」
「よいよい。アレクサンドラもさぞや緊張していることだろう。下がるがよい」
「御前、失礼致します」
 ルドルフは言うと、再びアレクサンドラの手を引き、扉をくぐった。
 
 扉の向こう側では、よく言えば陛下との謁見の感動を反芻している謁見を済ませた父と娘たち、悪く言えばやじうま根性丸出しの人々が、鋭い視線をアレクサンドラ達に向けて居た。
 謁見を終えてしまえば、ここで待っている必要もないのだが、同じ日に社交界にデビューする娘たちに対し、どのような好感を陛下が持っているか、自分の娘とどれほど違うかが重要な親子の群れが、嫉妬と羨望と、妬みの瞳でアレクサンドラの事を見つめていた。
 しかし、待合の間に居た時から、アレクサンドラよりも美しい娘はいなかったし、アレクサンドラよりも素晴らしい支度の娘もいなかった。
「きっと、アントニウス様がお待ちだろう」
 ルドルフは言うと、周りの視線など気にしない様子でそのまま退出の間を抜けて廊下へと向かった。
 ルドルフが言った通り、廊下ではアントニウスが待っていた。
「アントニウス殿、申し訳ないが、私は少し王宮で済まさなくてはならない陛下からの命があるのだが、その間、王宮に不慣れなアレクサンドラを一人で待たせておくわけにもいかない。もし、ご迷惑でなければ、アレクサンドラを屋敷まで送っていただけないだろうか?」
 予定外の展開に、アレクサンドラは戸惑ったが、アントニウスにアレクサンドラを預けると父のルドルフは王宮の奥へと歩き去ってしまった。
「ご迷惑をおかけいたします」
 アレクサンドラが言うと、アントニウスは零れそうな笑みを浮かべた。
「仕立て屋から、あなたのドレスの話を聞くたびに、どれ程美しくなって行くのだろうと、とても楽しみで、そして、不安でした」
「不安?」
「ええ、あなたが美しくなればなるほど、あなたに心を奪われる男が出てくる。そうしたら、いつまであなたを私のものとして、独占しておくことが出来るだろうかと」
 アントニウスの言葉に、アレクサンドラは頬を染めた。
 ただの誉め言葉なのだと、自分を諫めても、アントニウスの言葉にアレクサンドラの心はときめいてしまった。そして、もし、この言葉がアントニウスの本心から出てきている言葉なら、どれ程嬉しかっただろうかと、胸の奥が痛んだ。
「私はアントニウス様のものです。何があっても、誰にも嫁ぎは致しません」
 アレクサンドラが言うと、アントニウスがそっと指でアレクサンドラの唇を押さえた。
「壁に耳ありです。不用意な事を王宮内で言ってはいけません。このことは、ジャスティーヌ嬢にもお伝えください。王宮は、常に自陣であって、敵陣の最前線でもあるということを王族になるなら、そしで王族の縁者になるのであれば、忘れてはなりません」
 アントニウスは言うと、アレクサンドラの手を引いて王族専用の車つけに案内し、用意させてあった自分の馬車にアレクサンドラを乗せるとアーチボルト伯爵家を目指して馬車を走らせた。
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