初恋の君に真紅の薔薇の花束を・・・
 ジャスティーヌの結婚式からずっと続く晴天を楽しむように、アレクサンドラは手入れの良く行き届いた庭を散歩していた。
 以前は、痛みがひどく、手入れが行き届かない部分の多かった庭も屋敷も、今では何もかもが本来あるべき姿に戻っていた。とはいえ、アレクサンドラが生まれる前から荒廃の進んでいた屋敷や庭のあるべき姿を目にするのは公爵令嬢となってからの事で、今さらながらに、これほど素晴らしい庭園を持つ格式高い屋敷に住んでいたのかと、驚くほどだった。
 それでも、アレクサンドラが足しげく通うのは、アントニウスとの思い出のある噴水の近くだった。
 今ならば、美しいところも綺麗なところもたくさんあるが、あの当時は、手入れが行き届いているのは噴水の近くくらいで、公爵家の嫡男のアントニウスに笑われない庭と言ったら、噴水の近くくらいだった。
 それに、屋敷から良く見渡せるこの場所は、親の立場からしても娘を求婚者と共に散歩に出させても安全な場所だった。

「ここで・・・・・・。アントニウス様との思い出は、いつもここだわ・・・・・・」
 アレクサンドラは独り言を言いながら噴水の脇まで進んだ。
 冷たい噴水の縁石に腰を下ろし、刻一刻と姿を変える水面を見つめた。
「・・・・・・お元気そうでよかった。もう、杖も必要なくて、本当に良かった・・・・・・」
 アレクサンドラは自分に言い聞かせるように言った。
「どうせ、私にはあれ以上のお手伝いはできなかったんだし、仕方がないわ」
 アレクサンドラの脳裏に『あなたの温もりを忘れたくない』といったアントニウスの声がよみがえった。
「アントニウス様は生まれながらの公爵家嫡男、グランフェルド大公息女がお似合いだわ・・・・・・」
 アントニウスの事を想い、アレクサンドラは瞳を閉じた。
 ポキッという枝を踏み折るような音がした気がして、アレクサンドラは目を開くと屋敷の方を振り向いた。
 しかし、そこには誰もいなかった。

(・・・・・・・・いやだわ。ここに居ると、アントニウス様が来てくれるような気がして・・・・・・。馬鹿みたいね・・・・・・。お父様から式の翌日には、皆様お帰りになられたって聞いていたのに・・・・・・・・)

 下を向くと涙が零れてしまいそうで、アレクサンドラは青く広がる空を見上げた。

(・・・・・・・・この空のはるか遠く、でも、同じ空の下にアントニウス様はお元気でいらっしゃるんだわ・・・・・・・・)

 アレクサンドラは胸の前で手を組み、目を閉じてアントニウスの健康と、幸せを祈り続けた。

「アレクサンドラ」

(・・・・・・・・噴水の音が、アントニウス様の声に聞こえるなんて・・・・・・・・)

「アレクサンドラ、目を開けてください」
 聞き間違いようのないアントニウスの声に、アレクサンドラは目を開き声の方に向き直った。
「・・・・・・・・」
 目の錯覚でも、空耳でもなく、本物のアントニウスが立っていた。
「アントニウス様・・・・・・」
 アレクサンドラの瞳から大粒の涙が零れた。
「あの日の私の愚かな態度をお許しください」
「・・・・・・いいえ、お相手がグランフェルド大公のご息女ならば、当然のことです」
「その事は、もう忘れてください。ポレモスが降伏したことにより、グランフェルドとの同盟関係を強固にする必要はなくなりました」
 いきなりプロポーズするわけにもいかないので、アントニウスはあふれ出そうな想いを必死に抑えた。
「お元気になられたのですね」
「あなたのおかげです。あなたを誰にも奪われたくない一心で戻ってきたのです」
「そんな風におっしゃるから、つい誤解してしまうのです。私など、取るに足らない存在なのに・・・・・・」
 アレクサンドラは言うと俯いた。
「では、大聖堂でご一緒されていらした方と婚約なされたのですか?」
 アレクサンドラの質問に、アントニウスは誰の事を言われているのかわからず沈黙した。その沈黙を肯定と受け取ったアレクサンドラが『おめでとうございます』と言った。
 あまりの衝撃に、言葉が出ないうちに、アレクサンドラが言葉を継いだ。
「夜会ではダンスはなさらなかったのですね。アントニウス様が、あの素敵なレディと踊られたら、私はきっと怖気づいてピエートルと踊ったりしませんでした」
 そこまで聞いて、アントニウスはピエートルと言う伏兵が居たことを思い出した。
「そういえば、お怪我はされませんでしたか? ずいぶん彼はダンスが苦手なようでしたが」
「あれは私が悪いんです。うっかり、ステップを間違えて」
「ですが、尻餅をついて、パートナーを投げ出すなんて酷すぎです」
「ピエートルはあがり症なんです。それで、今までも失敗ばかりで。ジェームズとロザリンドが婚約したのに、まだ相手が決まっていないのです」
 アレクサンドラはアレクシスだった頃を思い出していった。
「では、彼と交際しているわけではないのですか?」
 アントニウスは思い切って問いかけた。
「違います。彼は、アレクシスの良い友人です。でも、私の友達ではありません」
「それに、彼はあなたには似合わない」
「そうですね。ピエートルはとても純粋な青年です。私のような者には似合いません」
 アレクサンドラの言葉を聞いた瞬間、アントニウスは耐えられずにアレクサンドラの手を取り抱き寄せた。
「な、なにを・・・・・・。まだ陽が高こうございます。私をご所望なら、今宵、図書室にいらしてください。このようなところを誰かに見られでもしたら、お名前に傷がつきます」
 アレクサンドラがまだ、あの悪夢のような呪縛に縛られていることを知り、アントニウスは全身の力が抜けていくのを感じた。
「お手をお放しください」
 言われるがまま、アレクサンドラを抱きしめる腕を解いた。
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