God bless you!~第10話「夏休みと、その失恋」

簡単な事

7時になった。
そろそろ薄~く、ぼんやりとした夕暮れから、闇の予感が漂う。
自転車の止まる音。犬の鳴き声がそれに続く。
間違いない。右川が帰ってきた。
玄関じゃなく、台所横の裏口辺りから、こそこそと入ってくる。
そのまま2階にあがろうとして、行きかけて戻り、まるでお化けでも見るような顔で、俺を2度見3度見した。
「なんでいるの?!ありえないんだけど?!」
抜け殻でもなく、シラけてもいなかった。
心配して来てくれてーと母は、散らし寿司のおかわりを強引によそった。
「ヒロちゃん大きくなったよなー」と、父親は俺の肩を叩く。
「だーかーらー♪白状しろよ。おまえ実はカズミと出来てんだろって」
「違います!」
酔っ払いに何を言っても無駄だろうけど、ここは植えつけておこう。
右川は、仕方なくいつもの席、兄貴や父親に言われるがまま座った。
俺を眺めて、唖然としたまま。
その後も、おかずとごはんとヒロちゃんが交互に出てきた。
右川も無言で、怒った目つきはそのままでバクバク食う。俺も食った。
うまい。腹いっぱい。ゆうべ遅かったこともあって、いつのまにか、うたた寝してしまって、母親から起こされて……もう夜の10時だと。
笑うしかない。
見ると、父親と兄貴が泥のように眠っている。
何も期待しなくて正解だった。
「あらぁ」
母親は、呑気に笑う。ははは……と俺も笑った。(ヤケクソで。)
「そろそろ、電車」と右川が差し込んだ。
「帰ります」
俺は一体、何しに此処に来たのか。どうしてここに居るんだろう。
本来の目的を見失って……いや、願書は渡した。
先生から受け取った大学案内も。
その帰り道。
近道があるから案内する、と言って右川が自転車で駅まで付いてきた。
こっちは変な時間に寝たせいで、やけに目が冴える。
680円は黙っておいた。あれだけ御馳走になっておいて今さら言えない。
あたりは真っ暗だが、程良く家の明かりが点いている。夜中でも自由に徘徊が可能だろう。
「毎日、親父に送ってもらってんのか」
「最近は親父じゃなくて電車で。駅まで近いし、朝早いから座れるし」
どうせ大口開けて寝てるんだろう。
「ここからコンビニって言ったら、どの辺りまで行く?」
「駅の向こう側にあるから。うちからファミマまで15分」
「この辺、ケモノとか出る?」
「それ、うちの親父の事?」
それ、笑う所?
食い過ぎたせいで。判断がつかない。
涼しく、心地よい風が吹く。
小学校時代、夏休みの夕涼みを思い出した。
ノリと俺と、少し年上の先輩と、怪談・ユーレイ話に花が咲く。その夜はどんな物音にも反応して、なかなか眠れなかった。
右川はそれから一言も喋らなかった。
耐えられる長さの沈黙を通り抜け、その先、程なくして駅に到着。
来た時よりも、静まり返っている。誰も居ない。
「夜は、5時から無人駅だから」
「あー、それで」
周りの物音が、より響いて聞こえる。
右川もホームまで来た。双浜まで、ここから2時間以上かかる道のり。
「よく通ってるな。大変だろ。家から通うなら大学は近いほうがいいよ」
右川がチラッとこっちを見る。険悪な様子は見えない。
「俺さ、桂木とは別れたんだ」
覚悟を決めて切り出した。
僅かだが反応があった。シラけていない。それだけでもいいと思う。
「おまえ、黒川と、どうなった?」
「別に。普通に。約束通り明日まで。今日は会わないから、もう終わり」
「一発チューとか、やっちまった?」
わざと、軽口を叩いた。
右川は、黙ったまま。
あんなヤツとする訳ないでしょ!と、怒ってこない。
え、まさか。
思いがけず動揺している。黒川が単なる勢いでブッ込んだと思っていたけど、あながち嘘でもなかったのか。
「あ、そういや俺らも」
「吉森のファイルありがと」
プイと突き放された。
激しく後悔。
ここで過去を蒸し返してそれを言ったからって、どうなるというのか。
「学校ちゃんと考えろよ。あのファイルん中、どれでもまだ間に合うんだから。気になった所に印でもなんでも付けて。決まったら、即オープンキャンパスに申し込んで。やること続いて、ぼんやりしてる暇なんか無いからな」
何とか誤魔化して、うやむやにした。
右川は、「うん」と、あっさりと素直に頷く。
よし。
それでいい。
それで充分の筈だ。
真面目な進路相談ミッション、完了。
黒川とは明日まで。だから、シラけたお付き合いももう終わり。
俺はやるだけの事をやり切った。これで山下さんにも顔向けできる。
さらにダメ出し、
「次の模擬試験とか受けろよ。夏の塾とか準備してる?」
「何にも」
「だろうな。とりあえず英語は単語。電車の時間を利用して覚えて」
「るっさいな。分かってるし」
右川は、忌々しそうに舌打ちした。
こんなに疎まれてまで……どうして俺はここに居るんだろう。
「来るよ。電車」
右川は、ぼんやりとその方向を眺めた。
「あ、違がかった。通過だった。その後だ」
もじゃもじゃ頭。くそチビ。俺にとって見慣れた景色。
いつもと変わらない横顔。
目の前、景色の一部を切り取るように、意識をたぐり寄せる。
初めて見る、その表情。
息苦しい。
この居心地の悪さを、迷惑感情だとか頼まれて仕方なくとか、そんなカケラに散らしてみた所で、またいつの間にか同じ1つのカタチに、どう足掻いても集まってくるのだ。
的外れは続かない。結論は出ている。もう明日までも待てない。
駅のホームでは、貨物列車が猛スピードで通過する。
その音に紛れて、右川を強く抱き締めた。
やっぱり小さいな、と思った。
丸く縮こまるようにして、俺は、右川の首元に顔をうずめる。
「好きだ」
もう誰に知られてもいい。
ずいぶん遠回りしたな。こんなになるまで。
もう絶対に見失いたくない。
右川の両腕が、俺の背中に回った。
それが返事のようにも思える。拒絶ではなかった。
期待した以上で、どこかホッとする。懐かしい匂いを確かめるように、その髪の毛に埋もれた。今までの出来事、その全てが色を変えて迫る。
途端に、右川の体から力が抜けた。
「あんたを好きになったら、どうにかなるかな。こんな簡単な事が……あたし、できない」
腕をダラリとぶら下げて、俺を突き放すでもなく、ぼんやりされるがまま。
まるで、シラけているいつもと同じだ。
右川は〝できない〟と言った。
まだ山下さんを忘れていない、そういう事だろう。
俺を好きになるのは簡単な事、と聞こえた。
簡単だと決めつけておきながら、出来ないとか言う。
出来ないと、確かに言った。
両腕を解いた途端、逃げ出そうとする右川の右腕を、俺はグッと掴んだ。
痛みを感じたのか、右川が小さく悲鳴を上げる。
「簡単って、なんだよ」
腕を掴む手に、チカラを込めた。右川の表情が、ますます歪む。
それでも、痛いとも言わない。抵抗しない。いつまでシラけているのか。
「出来ないんだろ。出来ない事を簡単とか言うな」
急に周りが明るくなったと思ったら、俺が乗るはずの電車が、いつの間にか到着して止まっていた。誰1人、降りて来ない。
「簡単なワケないだろ!」
力任せに突き放すと、右川は金網に背中をぶつけた。
泣いてはいない。口を半開きにして、訳が分からないといった様子で呆然としている。それがまた腹立たしい。
右川を好きだと認めるまで、こっちは簡単どころか、胸をえぐられるような気持ちでいたというのに。
出来ないと、最後のそれはハッキリとした拒絶に聞こえた。
間違いなく、拒絶だ。
俺と同じでキスまで許したであろう黒川とは本当に、簡単に、今みたいにシラけて抜け殻のまま、あっさりと1ヶ月で終わって……。
「どうせ俺は簡単だよ。黒川なんかと一緒にするな!」
右川を取り残し、俺は、そのまま電車に飛び乗った。
どこをどう帰ったのかよく覚えていない。
どこで間違ったのか、乗り換えようとしたら、もう電車はなかった。
2駅も歩いた。
汗と、うっかりこぼした飲み物で体操服はドロドロだ。
真夜中、駅も町も、暗闇にその実態を覆い隠す。
誰かが大声で歌っている。煙草を吸いながら、女が1人通り過ぎた。寒くもないのに腕組みする男。何かを落として舌打ちした女。
やっと家に辿り着いて……2:16。
泥のように眠る。

今日から、夏休み。






★★★後編へ続く



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