God bless you!~第10話「夏休みと、その失恋」
痛い!
熱い!
硬い!
ざらざらした感触。バウンドする音から察するに、それがボールだという事は分かった。「痛っ」やたら強力で、本気で星が飛ぶ。
ジーンとくる額を押えていると、すぐさま2球目が飛んできた。
それを避け、また避け、どんどんステージの真ん中に追いやられて……それでも尚、まだまだ飛んで来る。恐ろしいくらいに狙いは確実だった。
バスケット・ボールが1つ、2つ、3つ……俺の足元に転がっている。
俺は、もう1人の存在を忘れていた。
今日は来ていない、そう思い込んでいた。
ブッ飛ばすなら、あの時でよかったのに……!
「ターゲット・ロックオン。攻撃!」
桂木が、最高の笑顔で、狙いを定める。「ほらこっちだぁ!」「ほい」「うりゃ!」兄貴との絶妙のコンビネーションで、パス回し、渾身の攻撃を繰り広げた。
まるで、地獄のドッジボール。バスケ部には叶わない。
動きは俊敏、ボールは重厚。為す術も無く、俺はメッタ打ちだった。
そこに右川が飛び込んでくる。
途端、「くそガキがぁ!」と兄貴から情け容赦ない一撃を喰らって、その場に倒れた。俺が助け起こすと同時に、右川は転がるボールを掴んで一撃、兄貴に喰らわせる。そこから、俺達はステージを飛び降りて、逃げ出した。
もう終わりかよー!と周囲が煽る声を背中に聞きながら、マジ逃げ。
自転車置き場に避難すると見せかけて、そこからぐるっと体育館をほぼ一周。
大挙で押し寄せるヤツらの背中を遙か彼方に見送ると、そこからまるで導かれるように、いつもの、あの水場にやって来た。
熱風を吸って、吐いて。
お互いにしばらく呼吸を整えて、ちょっと水を飲んで。
俺は頭から水を被った。どうせすぐに蒸発する。
Tシャツで手を拭っていると、右川の兄貴の高笑いが聞こえてきた。
「キャプテンはグラウンドを潰せ!プールを探れ!最初に見つけたヤツには女を紹介してやる!」
活き活きと指図してやがる。
ここに居たら、危ない。「あっちだ」俺達は、また逃げ出した。
迷った挙げ句、武道場横の脇道に潜り込む。
ここは、金網と樹木に挟まれた狭い通り。生垣を挟んで、向こう側は県道だ。気付くヤツなど居ない。生垣の向こう側、すぐ横道を自転車が通過する。ゴミが幾つか散らばる、細くて狭い場所だった。
しばらく呼吸を整える。
どれだけ時間が経っただろう。
何を考えているのか、右川は黙ったままだ。
やがて、
「ブッ飛ばしていい?」
「は?何で」
桂木じゃあるまいし。
見ると、右川の顔が、やけに赤い。その口元は小刻みに震えている。
突然、「よしっ」と意気込んだかと思ったら、「うぅ……」と呻いて、俯いて……また沈黙が始まった。
一体、何がしたいのか。
長い、長い沈黙だった。
すると、
「たぁーっ!!」
突然、右川が襲い掛かってきた!
と思ったら、その両手で、がしっ、と俺の右腕を掴む。
思わず防御の姿勢を取った俺は、そのままの姿勢で固まった。
「あ、ありがと、沢村……くん」
俺は耳を疑った。
「一応、言っとく。受験とか、今までの色々。たくさん、ありがとう」
右川は一点を凝視したまま、こっちの腕を掴んだまま、ぷるぷると震える。
その手の平が熱い。掴まれた腕の体温と重なって、汗がじんわりと滲んだ。
ていうか。
……これ、何?
まさか、緊張してんのか。
ていうか、それだけ言うのに、これだけ長い前振りって必要なのか。
危うく、俺はまたしても別の勘違いをする所だった。そうまでして聞かされるこっちは、いい面の皮。どうせならバッサリやってくれよって。
言う事終えて気が済んだのか、途端に、右川はコロッと上機嫌。
俺を見上げて、「けけけ♪」と笑う。
「ありがと、とか言っちゃった♪これって進撃の、喰われる覚悟のミカサの台詞じゃね?」
ぽーんと、軽く弾んで、俺の腕を突き離した。
……ちょっと油断すると、これだ。
右川は、どこまでも冗談で済まそうとする。
この局面をグレーでやり過ごしてしまったら、また何も変わらないまま。
コクって振られたという俺の過去が、脅迫のネタに変わる事も予想が付く。
「沢村ってば、読んでないの?巨人に喰われる寸前、マフラーありがと♪ってミカサがエレンに言う場面あるじゃん」
知ってるよ。ていうか、受験生がマンガとか読んでんじゃねーよ。
喉元まで出掛かった。
そこから口喧嘩。いつものパターン。
やっぱりまた、何も変わらないままだ。
「ねー、職員室行かない?エアコン効いてるし。のぞみちゃんに、お茶もらおうよ♪行・こ・う。行・こ・う。カーモンベイビー吉森♪」
曖昧と適当が、真実を覆い隠す。
そうは行くか!
俺は最後の勇気を振り絞って、右川を引き寄せた。途端、体感温度が急上昇。腕を掴んだだけなのに、まるでストーブに貼り付くみたいに熱い。
「あんまバカにすんなよ」
あれだけの悪口雑言にまみれた俺だ。
もう、怖い物なんか何も無い。
「はっきり言えよ。俺をどうすんだよ。適当に感謝とかって誤魔化すな。そっちの出方次第、今から大勢の前に飛び出して、一発カマしたっていいんだからな」
右川は恐る恐る「何を?」と下から窺う。
「2年前の……言わなくても分かるだろ」
観念したのか、右川は腕を掴まれたまま俯いて、やけに大人しく、じっとしている。わずかに風が吹き抜けて、懐かしい匂いが鼻先をくすぐった。
いつかの右川の匂い。
そして……またしても、待たされている。
どれだけ時間が経っただろう。
やがて、
「……バカにはしてなくて。でも、どうするって……あんたを好きかどうかは分かんないし。ていうか、アキちゃんとあんたが違うって事は、この場合はっきりしてる。ていうか今回、はっきりした」
くぐもった声を、俺はぼんやりと聞いた。
何だろう。
振られた上に、傷口をこじ開けられて、蹴りを喰らったような。
「そうやって、あんたにガチで来られても、全く何にも思わない。ごめん」
「いいよ、もう」
つまり、俺は2回振られたのか。
真剣にコクっても、みんなに晒してやると脅しても、右川はブレない。
そこだけは大したもんだ。
「いいよ。分かったよ。さっさと俺を突き飛ばして、どっか行け」
そう言ったものの、右川が微動だにしない。
また待たされるのもゴメンだと、俺の方から右川を解放した。
「ね、それでも付き合おうとか思う?こういう女子と」
どういう期待の掛けようなのか。まさか媚び売ってんのか。
急にぐったり、右川はその全体重を俺に預けた。重くは無いけど、熱い。
「なるほど。そういう成り行きで、黒川とお試し一ヶ月か。あんなのと一緒にすんな。俺のあれこれが一ヶ月程度で決着が付く訳ないだろ」
突然、ぐいっ!と、右川が俺の腕を鷲づかみ。
驚いて、またしても防御の姿勢で固まっていると、「へへ……へ」と右川は笑う。いや、これは笑いなのか。
ラリっているのか。
顔を真っ赤にして、震えているとしか。
「マジ何したいんだよ、おまえは!キモいだろ」
「ていうか……あんた、黒川よりしつこいよね」
「だから何だよ」
だから、黒川とは違う関わり方が出来るかもしれない、と。
そう言いたいのか。穿っているとは百も承知で。
俺はそのまま、じっとしたまま、次の声を待つ。
言葉が見つからないのか、右川は、なかなか口を開かない。
つまり、またしても、待っている……。
太陽はほぼ真上。
灼熱の暑さが思考力をも奪う。
頭の天辺から、額から、耳元を伝って、汗が止めども無く流れた。
俺は、もう待てない。
もう一度、その腕を捕まえた。
「シラけるの、無しだからな」
「うん」
「シラけたら、バイト代没収」
「げ」
「とっとと進路を決めて、ちゃんと勉強しろ」
「う゛」
「俺は黒川と違って、甘くないからな」
1つ1つを確かめるみたいに、右川に突き付けた。
「何か……チョー面倒くさい予感が」
「あ?」
「何でもないっす」
お互い向き合って、腕同士を掴み合い……まるで取っ組み合いだった。
リング上で威嚇しあう格闘家の図だ。
どうみても、これから仲良くやろうかという同士じゃない。
やがて、
「それじゃ、議長。一ヶ月以上で……どうにか……よろくし」
右川は俺のTシャツを無造作に掴んだかと思うと、思わせぶりに耳元で囁く。
どういう演出なのか。これだと、まるで脅迫されてるみたいぢゃないか。ムードも何もあったもんじゃない。
右川が顔を見上げる。
その時、いつかの……2年前の最高の笑顔が頭に甦った。
その瞬間、様々な思い出と共に、複雑な感情が込み上げる。
上から見下ろす、その顔。
それはもう、初めてみる、その表情。
右川は顔を真っ赤にして1度、こくん、と頷いた。
絶対キスする!



気温、38度。
今年の最高気温を、また更新。
……その日、俺の彼女は熱中症で倒れた。



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