春を待つ君に、優しい嘘を贈る。
彼は微笑んだ。私の問いに肯定も否定もしてくれなかったけれど、柔らかな笑みを浮かべている。


『…そう』


もう間もなくこの空間が閉じられるのか、辺りが白く輝き始めた。

嫌だな。まだ話していたいのに。もっと聞きたいことがあるのに。


『あの…』


聞かなきゃ。

貴方の名前は何ですか?と。

どこに行けば会えますか?と。


『なに…?』


ねえ、会いたいよ。夢の世界だけじゃなくて、私とあなたが息をしている世界で。

会って、言葉を交わして、笑い合いたいの。


『…あなたの、名前は…』


言い終える前に、温もりに包まれた。

優しい温度に掻き抱かれ、懐かしい香りが鼻を擽る。


『駄目だよ、柚羽。呼ばないで。思い出さないで。忘れていて』


ああ、貴方は。
私が失った記憶の枢にいる人だ。
私が大切に想っていた人。同じように、私を大切に…今もなお、私のことを想ってくれている人。


『…、づ……、』


あなたの、名前。

名前は何だっただろう?

綺麗な名前だねって、笑った気がするの。

過去に。記憶の向こうで。


それ以上は駄目だ、と言うかのように。


『…さようなら、柚羽』


その言の葉とともに、すべてが消えた。
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