かおるこ連絡ノート
「おまえは、出て行かんのか」

夕暮れに、屋敷の中も暗くなっていく。
居間の灯を点けている石塚利平に、島田新左衛門は声をかけた。
役職を解かれたことを、部下や使用人に告げ、当座困らない程度の給金を渡し、あるいは身分の確かな武家への勤め換えを勧めた。
お目付役に関わる部下たちは、老中筆頭の土井が、その身の振り方を引き受けると請け合ってくれている。

数日のうちに、皆新左衛門の屋敷を出た。
その中でただひとり、金を受け取らず、勤めがえも断ったのが、この石塚だった。
もともと、屋敷に住み込みで勤めていた、足軽のこの男は、常に影のように新左衛門のそばに控えていた。
口数が少なく、だが太平の世にあって、鋭い光を常に双眸に宿していた。

新左衛門に声をかけられ、石塚が顔をあげる。

「ひとりぐらい、身の回りの世話をするものが必要でしょう」
「長いやもめ暮らしだ。自分のことぐらいなんとでもなる」
「ここを出されても、行くところなどありません」

言って。
石塚が、にこりと笑う。
いつも張りつめた空気をまとっている石塚の笑みを見るのは久しぶりで、新左衛門はいぶかしんだ。
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