笑顔の君は何想ふ


 授業が終わった後、アニメ化もしたライトノベルの新刊が二年ぶりに発売することを思い出し、大学前にある本屋へと向かうことにする。

 夕方になると随分と冷え込むようになってきたので、そろそろ秋物に衣替えしないといけないな。長袖とはいえ、夏物は薄いので少し肌寒くなってきた。

 本屋の前にある駐輪場に、自転車を停める。うっすらと効いている暖房のおかげで、店内はほどよく温かい。


 目当てのライトノベルと一緒に、目についた小説を購入することにする。

 ただでさえ好きなジャンルであるタイムリープもののうえに、ダブルヒロインという帯文に惹かれた。この手のタイプは最終的に、元々主人公が好きなヒロインではないほうと、上手くいくパターンが多い気がする。この作品はどっちなのか楽しみだ。


 早く帰って読みたいところだけど、その前に晩ご飯を調達しなければいけない。調理はもちろん、洗い物をするのも面倒だし、隣のコンビニでカップラーメンを買えばいいか。

 自転車を本屋に停めたままにして、コンビニへと向かう。入り口まで残り五メートルを切ったところで、店内から見知った制服の女子高生が四人出てくる。その姿が視界に入った瞬間、僕は思わずコンビニに対して背を向けた。


 高鳴る心臓を押さえつけるように、左胸のあたりを強く握る。早足で自転車へと戻ろうとするも、野生の勘が働く『あいつ』にバレてしまう。


「涼夜君!」

僕の予想よりもあいつの勘は鋭かったようで、背後から聞き慣れた声で呼び止められる。
 一週間ぶりのその声に、嬉しいような残念なような……いや、嬉しい気持ちを抱きながらも、それをおくびにも出さずに振り返る。


「よう、東堂」

「よう、じゃないわ! どうして連絡をくれなかったの!?」

「いや、だって……いつもそっちから連絡くれたからさ。お前こそ自分から連絡すれば良かっただろ」

「だって携帯電話が壊れたんだもの! だから涼夜君の連絡先が消えちゃったの!」


 あー、火事に飛び込むとき水被ったからなあ……。

 僕は鞄の中に入れてあったから大丈夫だったけれど、こいつはいつもポケットに入れていた気がする。

 それで連絡が来なかったのか。


「悪い。何だか自分から連絡するのは恥ずかしくて。それに、僕なんかよりも友達といる方が良いかと思って」

「涼夜君ったら、また『僕なんかー』って言っているわ! もちろん、お友達といるのは楽しいわよ。でも、それは涼夜君と別れる理由にはならないもの!」


 東堂がまだ、僕と一緒にいてくれることを望んでくれている。たったそれだけのことが、たまらなく嬉しい。この感情の名前はなんだろうか。
 自分の胸に視線を向けるも、自分で考えろとでも言わんばかりに、僕の感情円は姿を見せてはくれない。


「ねえ、香織ちゃん。この……リョウヤ、さん? は彼氏なの?」


 火事が起きたとき、友達を助けるために叫びつづけた少女が、東堂に問いかけた。その子の背中に隠れるように、由美も立っている。見たところ後遺症もないようだし、一安心だ。


「彼氏……? 違うわよ!」


 躊躇うことなく言い切る東堂の言葉に、自分のことながら鼻で笑ってしまう。


「だけど……」

「「「だけど?」」」


 後ろに隠れていた由美までもが、詰め寄るように声を上げる。ほんとうに女子は恋バナが好きだな。どうせロクなことを言わないと思うぞ。

 ギブアンドテイクの関係なの! とか言われそうだ。

 そう思っていたのだが、


「涼夜君は、皆よりもちょっぴり特別な人よ!」

「え」


 予想外の返答に、素頓狂な声が漏れる。少女達がキャーキャー喚いているものの、僕の視線は東堂に釘付けになっていた。


「というわけで涼夜君! 今から散歩に行きましょう! じゃあね皆! また明日学校でね!」


 走り出した東堂が僕の手を取ったため、バランスを崩しそうになるものの踏み留まる。背後では少女達の声が微かに聞こえるものの、東堂が止まることはない。どこに向かっているのかも分からないまま、東堂と一緒に走り続ける。


「ねえ、涼夜君!」


 前を走る東堂が、僕の手を離すことなく振り返る。夕日に映える漆黒の後ろ髪は、まるで流星のように空を切る。


「これからも! うーんと、たくさんの人を笑顔にするわよ!」


 世界一笑顔を愛する彼女は、世界一綺麗な笑顔を浮かべて宣言する。そんな彼女の感情円は出会ったときと寸分違わぬ色で、僕に感情を教えてはくれない。


 ──笑顔の君は何を想うのか?


 そんなことはもうどうだっていい。

 だって、彼女が教えてくれたから。


 未来はいつだって、希望に満ち溢れていると。


 笑顔が伝染するなんて、綺麗事だと思っていた。
 打算もなしに人を助けるだなんて、理想論だと思っていた。
 だけど、綺麗事も理想論も語らなければ、現実になることは決してない。
 誰だってヒーローになれる。
 彼女はそう言った。

僕は彼女のような本物にはなれないかもしれない。
だけど、諦めていては何も始まらないことを彼女は教えてくれた。
だから、もう少しだけヒーローを目指そう。
ほんの少しの勇気を持った、ちっぽけなヒーローを。
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