神獣の花嫁~かの者に捧ぐ~
咲耶が暮らす和彰の領域からは外れていて、昼間だというのに薄暗く、じめじめとしていた。
ふいに、湿った土の匂いに混じって、わずかな血の臭いが咲耶の鼻腔(びくう)をつく。

(タンタンの嗅覚(きゅうかく)のせいかな?)

と、臭いの正体を探ろうと踏み出しかけた足を、犬朗の片腕が止めた。

「咲耶サマは、それ以上動いちゃなんねぇ。小僧のオヤジの二の舞になられちゃ困るからな。
俺が降りて見てくるから、ここで大人しく待っててくれ」

言うなり、一瞬で姿を消すような素早さで、犬朗が傾斜を下って行く。
心配そうに身を乗りだしかけた孝太を、今度は咲耶が留める。

「危ないから、一緒にここにいよう? じきに犬朗が」

言いかけた咲耶の声におおいかぶさるように、孝太の父親の発見を告げる、犬朗のかすれた叫びが響く。

「いたぞ! まだ息はあるみたいだ! いま、連れて行く!」

父親を抱きかかえた犬朗が、行きと同じ早さで傾斜面をのぼってきた。
それを見届け、咲耶の内側(・・)からたぬ吉が抜け出す。
犬朗が地面に男親を横たえた。

身体のあちこちに切り傷を負い、露出した右のふくらはぎが異常に()れあがっているのが分かった。
骨が折れているのかもしれない。
不自然な呼吸の合間にうめき声を漏らしているが、孝太が呼びかけても反応がない。

咲耶は深呼吸をした。
たぬ吉が“影”に入っていた影響で疲労感が残っていたが、それで少し、身体が楽になる。

(まずは、ふくらはぎ……)

白い“(あと)”のある右手に意識を集中させ、腫れのひどいそこへ手を伸ばす。

医療の心得などない咲耶にとって、それは「痛みを取り除いてやること」と「元の状態に戻してやること」を『願う作業』であった。

最初は熱く、じんじんとする右手が、徐々に冷めていく。
同時に、触れたふくらはぎが腫れのない左のふくらはぎと同じように変化する。目に見えて、切り傷も減っていく。
咲耶の右手が置かれた部分から波紋が広がるように、子供の父親の身体が()やされていった。

それを確認し終えた瞬間、咲耶はめまいに襲われる。
自分の頭のなかから思考力が奪われ、真っ白くなるような感覚──。

「咲耶サマ、大丈夫か?」
「さ、咲耶様っ」
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