愛してるからこそ手放す恋もある

ビーフシチューとは私の父の作るビーフシチューだったと部長は言う。

「妻と付き合い始めた頃、良く二人で君のお父さんのお店に行ってビーフシチューを二人で食べたんだよ?
結婚してからも、何かある度ふたりでビーフシチューを食べに行ったんだ。
互いの誕生日や、私の仕事が上手くいった時、それこそ、些細な事で喧嘩して仲直りした時にも食べに行った。
あのビーフシチューは私達夫婦の思いでの味なんだ」

そのビーフシチューを奥さんは食べたいと言ったという。

「基本病院は外部からの持ち込みは禁止なんだよ?色々問題が起きた時に困るからね?
でも、主治医が好きな物を食べさせてあげなさいと許可を出してくれて、君のお父さんに無理を言って持ってきて貰ったんだ」

父と部長が知り合いだったなんて知らなかった。

「何時ものようにここで私が泣いてると、君のお父さんに叱られたんだ。『何してる!?』ってね!うつむいていた顔を上げると、君のお父さんは安堵の顔をした額には汗を滲ませていたんだ。きっと私を探し回ったんだろうね?」

そんなことが…

「そしてこういったんだ。『奥さんが笑顔で戦ってるのに君は逃げるのか!?』って…確かに私が始めて病院へ駆けつけたときは涙して謝っていたが、それからは一度も彼女の涙は見ていない。寧ろ私の前ではいつも笑顔で居てくれた。どんなにその笑顔に私が助けられた事か…」

「奥さんお強い方だったんですね?」

「そうだね?強い人だったよ?それに比べて、私は弱い人間だった…さっきは君に偉そうなこと言ったけど、私もあの階段を上がった事があるんだ。無駄だったけどね?」と部長は苦笑する。

「それからは私も笑顔でいることにしたんだ。妻が私の為に笑顔でいてくれるなら、せめて彼女の前だけは笑顔で居よう!ってね」

「本当に愛し合っていたんだすね?」

「うん。愛していた。いや、今も妻を愛してるよ?ちょっと気持ち悪いかな?この歳で妻を愛してるなんて?」

「いえ、素敵です。私もそんな恋がしたかったです…」

「君にはまだ可能性が有るだろ?治療だってまだ出来るんだ!希望を捨てちゃダメだよ?」

「妻はね?担当医が首を振ってからも一ヶ月も頑張ってくれた。最後には『貴方の中に私が生きた証が残せた?って聞いたんだ』私が頷くと『良かった』って笑顔で眠るように亡くなった」

「………」

「だから私が君に言った言葉は、私の妻と君のお父さんから送られた言葉なんだよ?」

そして部長は「退院したら会社に戻っておいでと言ってくれた」




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