副社長は花嫁教育にご執心


「杏奈……?」

画面を見るなり彼が小さく呟いたその名前に、私の胸はどくんと大きく揺れた。

うそ……。このタイミングでその名前を聞くことになるなんて。

せっかく平穏が訪れていた私の心が、またざわざわと波立つ。

灯也さん。その電話、出ないでください……。思わずそんなわがままな思いに心を占領され、スマホを持ったまま立ち上がろうとする灯也さんのシャツの裾をつかむ。

けれど彼は少し不思議そうにしただけで結局は立ち上がってしまい、窓際に移動しながら電話に出た。

「久しぶり。どうした?」

短いやり取りの中でも、その声色から灯也さんがなんとなく彼女を大切に思っているのがわかる。

でも、昔からの友達で、かつ今はデリケートな状況にいる杏奈さんを思いやってのことで、他意はないはず。何度も自分にそう言い聞かせ、不安をなだめる。

「ああ、聞いたよ。大変だったな。まぁでも、早いうちに彼とは合わないってことがわかってよかったんじゃないか? ……なんて、俺に言われても慰めにならないよな。……え?」

何を言われたのだろう。じっと見つめた先の灯也さんの横顔に、かすかな動揺が走る。


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