見上げてごらん、夜空に輝くあの星を
和田塚駅の周辺は、鎌倉駅の騒がしさとは一転、人の通りはそこまで多くない閑静な住宅街とも言える場所だった。

(そういやこんな感じだったな....)

昔の自分が目の前を歩いて行くのが眼に浮かぶ。俺は鎌倉市役所の隣に位置する小学校に通っていた。ランドセルを背負って歩くその姿。それは眼に浮かぶのだが、いつどこに行っても“あいつ”の顔がチラつくのだ。

(ああ、どうやっても忘れられるものではないな...)

それはそうだろう。あそこまで濃密な時間、忘れることはこの先ないかもしれない。何年経とうと、どこへ行こうと。

そんな思案も傍らに、歩いているうちに見慣れていたが、でもやっぱり見慣れないそんな奇妙な感覚が自分を支配する交差点にたどり着いた。何度も通った横断歩道だ。交差点の信号に付いている看板には“市役所前”という表示がなされている。

しかし何かが違うと感じるのは、その脇に小さなショッピングモールが出来ているからだろうか。書店や喫茶店が見える。これが違和感の正体の大きな要因なのだろう。

(こんなところにこんなのなかったな...)

懐かしかった光景が形を変えたことに少し寂しく思いながら、交差点を横切りそのモールの方へと向かおうと足を運んだ刹那。横断歩道と赤信号の先に制服を纏った女の子の姿が眼に入った。いや、目に入ったのではない、嫌でも目に入ってしまったのだ。

その女の子は、俺の顔を見て信じられないようなものを見たかのような表情を見せていたからだ。一点の曇りもない、真っ向から見てわかるその感情。ああ、なんだろう。初めて見るはずなのにどこか懐かしい。

「りょ、涼磨...?」

その口が動いた途端、俺の名前が聞こえた気がした。

(俺の名前...?どこから...?)

周りに人影などない。目の前の信号が青になると目の前の少女は一目散にこちらへと駆けてくる。そしてその俺より一回り小さな体は結構な勢いで俺に抱きついてきた。

俺はなにが起こったのか全くわからなかった。頭が目の前に起きている出来事に追いついていないのだ。口をポカンと開けながら目線を下げる。その先にある自分よりも一回り小さな顔は、俺の脳をさらに惑わせた。

「な、な....」

そして声にもならないような、そしてよく表せない表情のまま固まる。

「涼磨.....?! いや、涼磨だよね....? 信じられない... 本物なの...?」

その少女は俺の顔を間近に見るなり、最初は訝しげにみながらも、次第に目をキラキラとさせながら俺の名前を連呼し、再会を心から喜ぶようにそう言う。


(俺はこんな女の子、会ったこともないし見た覚えもないぞ...?)

とっさに見覚えはないか、どこかで会ったことがあるんじゃないか?と考えるものの、全く見当がつかない。こちらが忘れているだけだったら相当失礼だと脳をフル回転させるが奮闘むなしく何もならず。

首を傾げてあからさまに困った表情を向けるものの、目の前の少女は俺の顔を見てから満面の笑みでこちらを見つめていたのだ。その顔を見て心の中にあった困惑の表情などどこかへと行ってしまった。

「そ、そうだけど...君は?」

声から動揺の音は消えなかったが、そんなことに気にする仕草もなく。誰もが見惚れる満面の笑みのまま。

「えっ...忘れちゃったの?春乃!坪倉春乃!」

(は、春乃....?! 昔と全然違うじゃないか!こんなにも人を惹きつける姿で現れたら動揺するに決まってるし、分かるはずもないじゃないか!)

「は、は?春乃...?昔と全然違って...」

「そうかな?私はそう思わないけど...そっちは全然変わってないし!でも本当に久しぶりね!何年ぶり?5年ぶりかな?」

坪倉春乃。紛れもなく“あいつ”のことだ。

会うことはあるだろうと覚悟はしていたが、ここまで急に会うとは思わなかった。それ故に、何が何だかわからずキョトンと背筋を伸ばしたままだった。

(なんで...あいつとはケンカ別れのはずだ!何でここまで自然に接することができるんだ?!)

俺は信じられないというような顔のまま旧友の顔を見つめる。

「なにその顔?信じられないものを見たような顔して...」

(ここにいるのは小学生の時一緒に星を見る仲だった坪倉春乃ではなく、昔一緒の小学校に通っていた同級生である女子高校生の坪倉春乃だ。そうだ。そう思おう。)

あの時の残像を心の奥にしまい、大きく息を吐く。


「そっか...2年って言ってたもんな」

彼女もまた、家の都合で海外に引っ越していたのだ。その期間が終わり、鎌倉へと戻って来たということだ。

(今はそんなこといいか...昔のことはまた今度考えれば)

昔と全く違い髪が腰まで伸び、容姿が整っていてとても可愛いらしく、そしてその仕草が1つ1つ女の子らしい姿に少し見惚れていたことがその時の思案をどこかへ吹き飛ばしてしまったのかもしれない。

「そう!でも帰ってきたとき涼磨がいないことを聞いて、とても悲しかった。辛かった。だからさ、今すっごく嬉しいんだ!また君と会えて、本当に良かった!」

夕暮れに染まるその笑顔は、絵画にあってもおかしくないような。見てて惹きこまれるような。とてもとても魅力的なものだった。そして俺の口はだらしなく開いたまま、その笑顔を見つめるだけだった。
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