届かないことが、これほど苦しいものなんて。
昔の話
今君が側にいないから少し昔の話をしようかな

君の事を忘れる為に
(忘れない為に)



君と出会ったのは随分と前だった

確か、出会った日は蝉が元気よく鳴いていた夏の日

引っ越してきた町、見慣れない景色
車の音や電車の音、信号機の音
あんなざわついていた所からこんなにも閑静な所に来るなんて思ってなかった

見渡しても家ばかり
大きな家もあれば小さな家もある
けどどこか落ち着く場所
私はすぐにこの町を受け入れられた
静かで穏やかな気持ちになれる
そう子供なりに感じていた

家の窓から眺める景色
それがすごく気に入った
引っ越してきた日、両親が片付けをしている間私は自分の部屋から外を眺めていた
ふと下を見ると母親と小さな男の子が
小さな、といっても私と変わらない

「こらっ!幸大いい加減にしなさい!」
「いいじゃんかぁ、ちょっとだけ水遊びしようと思っただけだもん、なぁ、ちぃ」
「あんっ!」
「はぁ、あのねぇ犬はびちょびちょな体で家に入ってくるの!その上なんであなたまでびちょびちょのまま入ってくるの!」

あぁ、親子喧嘩か、
先程まで塀に隠れて見えなかった犬が、尻尾を振って“幸大”という男の子の周りを駆けている
犬が大好きな私は“ちぃ”と呼ばれる犬を見に外へ出た

「あら、麗那どこ行くの?」
「お外!」
「気をつけるのよ〜」
「はーい!」
少しだけ、と家の塀から覗く
「かわいい、」
小さい割に元気に走り回る犬
私はあまりの可愛さに見入っていればその犬と目が合ってしまった
こちらへ駆けてくる犬
「え、ちぃ?!」
「…っちょ!え?!」
びっくりして尻もちをついてしまった
「…いたたっ」
「おい、大丈夫か?」
そう手を差し伸べる男の子
「ありがとう」とは言えなかったけれどその小さな手を借りた
「あら、ごめんなさい!大丈夫?」
男の子の母親がこちらへ来て声をかけてきた
「…っ」
人と話すことに慣れていない私は咄嗟に首を縦に振った
人見知りだからこそ、こっそり見て部屋に入ろうと思っていたのに
「もしかして、今日引っ越してきたお宅の子かしら?」
また私は首を縦に振る
「はじめまして、お隣の市原です。この子は幸大、よろしくね?」
「…よ、よろしくお願い…します」
聞こえたかな?大丈夫かな、、
そんな心配をしオロオロしていれば
「麗那〜お隣のお家行くわよ〜」
母が私を呼びに来た
「あらっ、こんにちは。今日引っ越してきた早川です。今、ご挨拶に伺おうと思っていたのですが…」
「そうだったんですね!つい先程うちの犬が娘さんを驚かせてしまって、少しお話をしていたんです」
母親同士が話している間、隣の家の幸大くんがずっとこちらを見てくる
「…ど、どうしたの」
恐る恐る聞いてみた
「お前なんていうの?」
「え…」
「名前!」
「れな…」
あまりに元気がよく少し驚いた
「じゃあ、れーちゃんな!よろしく!」
そう笑顔で手を差し出してきた
挨拶のしるしと思われるその手を私は握った
「れー…ちゃん?」
「そ、あだ名!」
「…じゃ、じゃあこうちゃん?」
「こうちゃん…」
嫌、だったかな?
あだ名を付けてもらったら付けてあげたほうがいいかと思って、咄嗟に思いついた“こうちゃん”というあだ名を発していた
「こうちゃんっていいな!」
少しだけ間があった後、笑顔でそう言った
私はその笑顔につられて笑っていた
それから私達は“れーちゃん”“こうちゃん”と呼び合うようになった



あぁ、あんなに小さい頃から私の恋は芽生えていたのだろうか

“れーちゃん”

そう呼ぶ声が大好きで、大好きで堪らなかった

今となっては聞くことの出来ない声、言葉
もう一度聞きたいのに

何度も何度も思った
これでもかと言うほど悔やみ、自分を責めた
泣いて泣いて、今は涙さえもでなくなった
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