きっと夢で終わらない
数歩先には白線と、点字ブロックが見えて、その先は闇。
ぽつり、ぽつりと灯る光が暗闇にぼうっと浮き上がって、人魂のようだ。

五年前、高校三年生のあの日、私は確かにあの闇に突き落とされるところだった。
でも、誰かによって死の淵から引き上げられた。
「杏那!」と呼んだ声、私を引っ張り上げたその人の後ろ姿は、私の知っている人のような気がしたが、それを確認する術が今までなかった。

けれど、その本人かもしれない人物が、今、私の隣にいる。
これほどの好機は、もう訪れないかもしれない。

年が明ければ、もう会うことはないだろう。
この気まずさを、できれば墓場まで引きずりたくはない。
私が打ち明けたところで、何かが変わるとも限らないが、この長年胸に抱き続けていたものを晴らしてみたかった。


「弘海、先輩」


久しぶりに名前を口にする。少し声が上ずった。
弘海先輩は私の呼びかけに返事をすることなく、線路の向こうに見える夜の街並みを見据えていた。
緊張で暴れる心臓を落ち着かせるように胸に手を置き、二の句を継いだ。


「……私、先輩の時計……預かってます」


空気が揺れた。
反射的に顔を上げると、こちらを見下ろす弘海先輩と目が合った。
どくん、どくんと心臓がものすごい速さで動く。
弘海先輩が、私を見ている。
その事実にどうしようもなく胸が熱くなる。


「時計……?」


私は慌ててパンツのポケットから、あの時の時計を取り出した。
腕から外れた時の衝撃で表面のガラスは割れてしまっていたものの、針は今まできちんと時を刻み続けていた。
カチ、カチ、と秒針音のするそれを目の前に差し出すと、弘海先輩は遠慮がちに私の手のひらに手を伸ばして手に取った。

やっと、返せた。
待ち望んでいた瞬間に安堵するも、私はもうひとつ、忘れていなかった。


「あの時、私を助けてくれたのは……弘海先輩ですか?」



——ピンポーン。

合図とともに、構内アナウンスが流れる。


——「まもなく、二番線に電車が参ります。白線の後ろに下がってお待ちください」



人もいないホームに入ってくる電車の音はやけに響いて、頭の中にガタンゴトンとこだました。
その間も私は弘海先輩から目をそらすことができずにいた。
ガタガタとものすごい勢いで入ってきた電車は数秒後、緩やかに停車し、ピコンピコンという電子音とともにその扉を開いた。
車内からの光が眩しくて咄嗟に目を細める。


「僕の話、聞いてくれる?」


時計ごと私の手を握った弘海先輩をまっすぐに見つめ返して、私は頷いた。
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