きっと夢で終わらない






駅から歩いて十五分ほどで着くマンションの三階。
できるだけ音を立てないように鍵を開けて中に入る。
部屋の電気は消えていて、革靴が一足玄関に出ているだけだった。


「お邪魔します」

「どうぞ」


弘海先輩が小声で言うので、私もつられて囁き声になる。
泥棒みたいに抜き足差し足、ジェスチャーを交えながら弘海先輩を自分の部屋に通した。


「狭いですけどすみません」


電気をつけると、弘海先輩が私の部屋の中で立っているのがわかって、途端に緊張して来た。一応いつも片付いているから、変なものは落ちていないはずだけど。
弘海先輩は振り返って、申し訳なさそうに眉を下げた。


「いや、全然だよ。こちらこそごめん。お父さん大丈夫?」

「大丈夫です。眠りは深いほうだから。洗面所は通路の奥にあります。上着は適当においてください。コーヒーでいいですか?インスタントですけど」

「お構いなく。ありがとう」


ローテーブルのそばに脱いだ上着を置いて洗面所に行く弘海先輩を見届けて、私は台所に立った。
魔法瓶の中にはまだ熱いお湯が入っていて、きっと帰ってくる私のためにお父さんが沸かしておいてくれたのだろうと言うことがわかる。
戸棚からインスタントコーヒーのスティックを出して、マグカップに入れて溶かす。
透明の水がみるみる深い茶色に染まり、薫りが漂う。
ダイニングテーブルのカゴの中には今日の朝にはなかったお菓子が入っていて「杏那の分」と付箋が貼られていた。
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