姉の婚約者
 伊沢さんはヨーグルトの容器を片手に持ったまま。コンビニからの光で顔の半分だけが照らされている。伊沢さんの右目だけが光って見える。もう片方は、見えない。
 この変態についていくことに一抹どころじゃない不安を覚える。もし私の想像を超える変態だったり、もし本当に人間じゃないなら。
 でも、この人は酒場で”その先行くと危ない”だなんて言ったのだ。きっと悪いようにはならないんじゃないんだろうか、多分。
 前を歩く伊沢さんの姿は中華料理屋で見た姿と同じだ。でも、伊沢さんは時と場合によって顔が違う。何が理由なんだか。

「伊沢さん、どこ行こうってんですか」

 伊沢さんは振り返らない。なんとなくつまらなくて伊沢さんの背中をじっと見ながら歩いている。警備会社の交差点を渡り、魚屋の角を曲がる。このまままっすぐ行くと駅かな。ふと伊沢さんは散髪屋と銭湯の間の小道に入った。

「あ、ちょっと……」

 いきなり鋭角に曲がったから見失いそうになった。狭い道、というか路地でエアコンの室外機があったり、銭湯のボイラーが湯気を立てていてよく見えない。伊沢さんはずんずん進んでいく。私は伊沢さんに倣って室外機を乗り越え換気扇に引っかからないように頭を下げる。

「ここって私有地なんじゃないですか?」

「私有地?なんだそれ。まあ進める限りは道だ。さあ、行くぞ」

 嘘だろ?私はおっかなびっくりブロック塀の上を渡りながら、横に置いてある植木鉢にひやひやしているのに、伊沢さんは猫のようにスルリとビルの外階段の手すりに飛び乗って見せた。

「どこ行くんですか?伊沢さん!」

「もうすぐだ」

「もうすぐったって……うわ!」

「おいおい。落ちるなよ。さすがに死ぬぞ」

あっぶな! どこかの家の屋根瓦を踏み外した。

「なんでこんな、道なんですか!?」
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