人魚姫
その想いは時間が経っても消えなかった。

 そればかりかあの子への想いはますます強くなっていった。

 少年期が終わり僕の体は大人になっていった。

 それと同時に僕の記憶の中のあの子も変化していった。

 あの子から彼女へ。

 僕はいつしかそう呼ぶようになっていた。

 何度も彼女の夢を見た。

 あれから数えきれないほど彼女と出会った岩場に足を運んだ。

 でも2度と彼女と会うことはできなかった。

 あの日もこんな満月の夜だった。

 眠れない夜を僕はまた彼女と出会った岩場で過ごそうと海辺にやって来ていた。

 その頃になると相変わらず募る彼女への想いと、現実世界での問題にひどく僕は悩まされるようになっていた。

 特に律。

 僕のことをずっと慕ってくれているのは知っていた。

 でも僕は律の想いに答えることはできない。

 本当に律には悪いと思っている。

 でもこれだけはどうしようもないんだ。

 遠い少年の日に出会ったあの彼女のことがどうしても忘れられない。

 それだけはまるで僕が僕じゃないかのように、胸の真ん中に大きく太い矢が突き刺さっているかのように僕を捉えて離さない。

もう1度でいい。

 もう1度姿を見るだけでもいい。

 彼女に会いたい。会いたい。会いたい。会いたい。

 その時僕の目の前に現れた。

 全てが透き通るように白い人魚、深海の魔女が。

『そんなにもその娘が恋しいのですか?』

 深海の魔女は僕に訊いた。

『彼女の姿をもう1度見ることができるのなら、僕はなんでもする』

 僕がそう答えると魔女は言ったんだ。

『あなたの人間としての命をも捧げますか?』と。

 正直僕は本当に驚いた。

 人間が人魚になることができるなんて、そんなことすぐに信じられるわけがない。

 僕がいつまでも訝しがっていると魔女は僕を諭すように言った。


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