蜜月は始まらない
光栄だ、とうれしいのか。

虚しくて、悲しいのか。

自分の気持ちがよくわからないまま、ふっと口もとが緩んだ。



「……変わらないんだね、柊くん」



ほとんど無意識につぶやいた声はよく聞き取れなかったらしく、柊くんが小さく首をかしげる。

そんな仕草も見覚えがあって、今度はつい控えめに笑い声が漏れてしまう。



「ううん、なんでもない。……あのね、柊くん。知ってると思うけど、うち中学のときお父さんが亡くなったから母子家庭で。お母さんは、女手ひとつで私のこと大学まで出してくれたの」

「……ああ」

「私も、親に安心して欲しいのは一緒。でも前の彼のことがあってから、また一から恋愛して恋人作ってそれなりの期間付き合って……って、どうにもエネルギーがわかなくて」



桜に目をやりながら、苦笑した。

だから、と、そこで私は彼を振り仰ぐ。



「こんな私でも、いいって言ってくれるなら。このお話、進めさせてください」




たぶん私は、柊くんの提案に少なからず傷ついていて。

だけど、それ以上に──どんな形であれ、もう少しだけでも、彼と一緒にいたいと思う気持ちを抑えきれずにいる。

我ながら、馬鹿だよなあって思うのに。たぶんいつか、この決断を後悔する日が来るのに。

それでも、ここに来てまた大きくなり始めた十年来の秘めた想いが今、どうしようもなく私を突き動かすのだ。


『初恋は叶わない』と、誰かが言っていた。

だけど私の場合はとてつもない遠回りの末に、思いもよらない形でそれが叶いそうになっている。



「……ありがとう、花倉」



ほっとしたように頬を緩ませ、柊くんがつぶやいた。

その表情と声音に、ひどく心が揺さぶられる。まるで、私との結婚が本当にうれしいみたいだ。

勘違い、しちゃダメ。

これは契約だ。利害の一致で交わす契約に、無駄な感情なんて、いらないのだ。

おおよそお見合いらしくない暗い決意を胸の内に隠しながら、私は彼に精一杯の笑みを見せた。
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