蜜月は始まらない
「いい機会だから言っとく。俺も男だから。取り扱いには注意して」



さっきまで逸らされていた切れ長の目が、今はハッキリと私を射抜く。



「花倉──……華乃は俺のこと優しいとかなんとか聖人君子みたいに言うし、おまえの中で俺は、高校生のガキのまま止まってるのかもしれないけど。もういい大人だし、ほんと、ふつーに、男だから」



あ、錫也くんも、今私のこと苗字呼びした。

頭の片隅でそう思うけど、からかう気も起きない。

やけに真剣な表情の彼から目を離せないまま、じわじわと体温が上がっていく。



「あ……え、と」



どうしよう。
なんて返したらわからなくて、意味のない音が口からこぼれた。

私を見下ろす彼が、また小さく嘆息する。



「まあ……俺もそこまでクズじゃないし、合意もなしに手ぇ出すことはさすがにするつもりないけど」



え……ええと、それはつまり……私が合意さえすれば、手を出される可能性もあるかもってことですか……?

ぼっと火がついたように顔が熱くなる。

錫也くんはそんな私を一瞥し、少し躊躇った末にポンと私の頭に手のひらを載せた。



「あんまり無防備にされると、こっちは都合良く解釈するから。簡単に食われたくなかったら、自分の身は自分で守って」



そこで立ち上がり、ついでに倒れた椅子も起こす。

テーブルに広げっぱなしだったノートを手に、錫也くんが座り込んだままの私を見てふと笑った。



「じゃあ、おやすみ」



さっきまでの不穏な発言がまるで嘘のように優しく言って、踵を返す。

自室へと向かう、その広い背中に。



「お、おやすみ、なさい……」



真っ赤になって身動きできずにいる私は、そう小さく答えるのが精いっぱいだった。
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