Sweet Healing~真摯な上司の、その唇に癒されて~

 (もうっ、オフの雨宮さんは全然分からない!!)

 雨宮を送り出した千紗子は、しばらく玄関で呆然と立ち尽くしていた。
 けれど我に返ると、彼の行動が自分をからかっているようにしか思えず、段々と腹が立ってくるのだった。

 真っ赤になった顔がなかなか戻らなかったけれど、今日は遅番出勤の前にやりたいことが山のようにあった千紗子は、顔の色なんか気にしている場合ではなくて、急いでリビングへと踵を返したのだった。

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 雨宮の出勤から一時間半後の今、千紗子が向かっているのは駅前にある不動産会社だ。

 これまで裕也と暮らしていたマンションにはもう帰らないつもりでいる。
 二人の思い出が沢山詰まったあの部屋には、最悪の記憶も付いてくる。そんなところに短時間でも居たくないのが正直な気持ちなのだ。
 最後に一度だけ自分の荷物を運び出す必要があるだろうけれど、足を踏み入れるのはそれを最後にしたいと千紗子は思っていた。

 けれど、だからと言ってこのまま雨宮の厚意に甘えて彼のマンションに居座るなんて出来るわけもない。
 今日良い物件が見つからなかったら、そのまま駅前のホテルに数日間滞在しようと、千紗子は決めていた。

 (だけど黙っていなくなるなんて不義理にもほどがあるものね…)

 出かけの彼の笑顔が、千紗子の脳裏に甦る。
 
 荷物は沢山はないので、そのまま持ってきてもよかったのだけど、こんなにお世話になっておいてきちんと挨拶もせずに居なくなることが出来るほど、千紗子は恩知らずではないつもりだ。

 (今夜のきちんと雨宮さんに説明してお礼を言ってから、お暇させてもらおう。)

 そう心に決めた千紗子は、肩から下げた通勤かばんの紐をキュッと固く握りしめた。

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