千一夜物語-森羅万象、あなたに捧ぐ物語-
明――どこかで聞いたことがある、と思った。

だがいくら考えてもそれは分からず、美月は頭の中で繰り返しその真名を囁き続けた。


「俺の真名を呼べば、どこに居ても駆けつける。妖とはそういう生き物だからな」


「…私も鬼として産まれた誇りがあります。ですが真名は…」


「お前が教えたいと思った時でいい。とにかく何かあったら自分だけで対処しようとせず俺の真名を呼べ。約束しろ」


強い口調で迫られてかくかくと頷いた美月は、ようやく良夜から離れることができて早い鼓動を打つ胸を両手で押さえた。


「分かりました…」


「雨竜は自らを出来損ないと言うが、俺には不思議とそう思えない。ここに流れ着くまでに散々泣いて辛かっただろう。例え本当に出来が悪かったとしても俺はあいつを百鬼に迎え入れる」


――力のある者の庇護を得ることができて心からほっとした美月がふわりと微笑むと、良夜はまた手を伸ばしてそっと美月の頬に触れた。


「!な…なんですか…やめて下さいと言ったはずですが」


「触れたいから触れる。それに理由はない。…お前も俺に触れたいと思ったことはないか?」


そう言われて、つい目が泳いだ。

細長い指に大きな手――

首は滑らかでいて長く、着物から覗く鎖骨は噛みつきたくなりそうなほど魅惑的だ。

中性的とも言える美貌だが、唇から見え隠れする牙に噛みつかれたいという欲求もまた沸いていた。


「そ、そんなことは…ありません…」


「ふうん、お前は俺をはじめて拒絶した女だ。本当に興味津々で困る」


そう言って腰を上げた良夜が神社を出ていくと、美月は両手で顔を覆ってまだ鳴りやまない胸を何度も叩いていた。


「そういう目で見ては駄目…」


後戻りできなくなるから。
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