クールな御曹司の本性は、溺甘オオカミでした
目覚めたのは千石くんが先だった。
私たちはあまり喋らず、それぞれシャワーを浴びた。

身なりを整えると、それなりに気分もしっかりしてくるみたいだ。まるで会社で接するように私たちは朝の挨拶を交わし、少ない荷物をまとめて、ホテルのラウンジに食事を摂りに行った。

朝食はビュッフェスタイルだった。
千石くんはパンにスクランブルエッグにベーコンにと、若者らしい食欲で平らげていく。私は薄いライ麦パンとチーズ、あとはコーヒーで充分だった。
外が晴れているとか、これが美味しいだとか、短い会話を気詰まりでない程度に交わし、朝食を終えた。
完璧だった。私と千石くんは完璧に最後の時間を過ごした。

ホテルを出た路上で、私たちは向かい合う。
これでおしまい。本当におしまい。

「真純さん、ありがとうございました」
「いいえ」
「幸せな時間をもらえました」

千石くんが頭を下げるので短く答える。
私も楽しかったし、幸せだった。そんなことは言えない。

「それじゃあ」

別れは私から言いたくて、短く言って背を向ける。

「ええ、さようなら」

千石くんは優秀だ。よくできた部下だ。
だから、絶対私を引き止めたりしない。
あんなに情熱的に抱き合った後だって、これで最後だと決めたら、それをたがえたりしない。

「ありがとうございました!」

背中にもう一度、声がぶつかる。私は振り向かずに歩き出した。

年の暮れだ。東京駅は混んでいるだろうから、一番近い地下鉄の駅を目指す。
早く地下への階段を降りてしまおう。彼の視界から消えてしまおう。
そうしたら、全部終わりだ。

よくできた。私は頑張った。

「よく我慢したじゃない」

自画自賛で呟いてしまう。そう、私は一度も言わなかった。

千石くんが『好き』だって。

抱き合いながら、求め合いながらあふれ出そうになる気持ちを、ずっとずっと我慢していた。
今更気づいてしまった本音を、飲み込み続けた。

「あー、私ホント頑張った」

地下鉄の階段を降りながら、わざと適当な声で呟いてみる。
ぼろんと大粒の涙が頬を転がり落ちた。 



< 142 / 175 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop