ハーモニーのために
身を凍らせるような、冷たい声が大理石の城に響いた。顔を上げると、おどおどした騎士の隣に美しい女性が立っていた。黒と白の美しいドレスを身にまとい、端正な顔立ちをしていた。ドレスは腰まで真っ黒だが、そこから白い線が何本も突き抜けて足元は真っ白になっている。裾に羽とフリルが縫い付けられ、首筋には真っ赤なルビーのネックレスをしていた。肌は象牙のように滑らかで白く、唇は真紅色だった。威厳と強さに満ち溢れたオーラを放ち、何もかも突き通すような青い目がこちらを見ていた。

「陛下、彼女は演奏会に出遅れたものです。」

騎士はその女性を恐れるように急いで言い、頭を深く下げた。

「馬鹿もの!」

陛下と呼ばれる女性の声は大きく城を振動させ、聞いていたものを身震いさせた。

「演奏会はとっくに終わった。そんなことも知らなかったか。」

冷たいとげを刺すような声だった。私はそこに微動出せず銅像のように立っていた。何かおかしなことをしでかししまったのだろうか。するとその女性は私の元へと歩いてきた。一歩一歩近づくたびに、ヒールの音が大理石に響き、まるで寿命が縮んでいくような錯覚に陥った。私とその女性の距離が三十センチぐらいになると、彼女は私のことを足先から頭のてっぺんまでなめるように見ていった。

「おまえ、この国のものか。」

全身に鳥肌が立った。ただ、自分の身に今から恐ろしいものが起こるではないかという恐怖に駆られ、口を動かそうとしても半死した魚のようにしかならなかった。

「どこから来た。」

陛下はほんの少し上目使いでまた新たな質問をした。私はなんと答えればわからず、ただ彼女の目線を受け止めるだけで精いっぱいだった。

しばらくして、陛下は諦めたのか、私を見るのをやめた。そして背を向けて窓辺まで歩いて行った。窓を眺める女性は、まるで絵のようだった。白い肌に日光が当たり、いっそう美しさを増していた。長い沈黙が続き、私は何をすればいいのかわからなくなってしまった。

「とても不思議だ。お前のような奴隷みたいな奴が、なぜ色を持っているのか。となると、お前は外のものだな。クラシックをつぶそうとやってきたスパイなのではないか。」

そういって、陛下は後ろを振り返った。その目は見たものを石にしてしまうメデューサのような恐ろしさでいっぱいだった。窓からの日光は彼女の顔を逆光で暗くした。私の頭の中が真っ白になってしまい、おそらく失礼だと思われるアホな質問をしてしまった。

「クラシックとはなんでしょう。」

そのあと陛下が話し出すまで膨大な時間が過ぎたような気がした。彼女はそんな返答を予期していなかったようで、真っ赤な唇を真ん丸にして私を見た。そして急に笑い出した。

「クラシックを知らないのか。それとも、お前はクラシックではない邪道に呈するものか。クラシックは音楽だ!」

彼女はあきれたような声を出した後、天井が崩れるのではないかというぐらいの大きな声で叫んだ。私はあまりにもびっくりしてしまい、しりもちをついてしまった。しかし、私の愚かさも彼女をまた黙らせる羽目になった。

「あのう、オンガクとはなんでしょう。」

床に座ったまま私は陛下を恐る恐る見上げた。陛下は目をいっそう大きく見開き、私を奇妙なもののように見た。私は自分のしたことを後悔し、次はどんな仕打ちが来ると恐れた。しかし、オンガクという聞きなれない言葉を聞いて好奇心がわいてしまった。

「おまえは本当に音楽を知らないのか。それとも外の邪険に満ちた音楽とは呼べないあの汚らしいものの仲間だから、ごまかしているのか。」

邪険に満ちたオンガクとは呼べないものとはなんだろう。しかし、ここはオンガクそのものについて知ることを先決にした。

「いえ。オンガクとは何か純粋に知りたいのです。」

「ふむ、よかろう。お前に音楽―クラシックの素晴らしさを教えてやろう。怪しい者、クラシックの素晴らしさに感動できなければお前はスパイだからな。」

そう言って、陛下は窓辺から歩き出して別の部屋の白いドアを開いた。私はそれについていった。
中の部屋は私がいたホールよりは少し小さかったが、それでも立派だった。白黒のタイルがそのまま続き、壁には色のついた大理石がはめられ、何らかの模様を描いていた。真ん中には小さな壇上があり、高級な赤色のクッションの椅子が並べられていた。何人か、色を持った人物がそこの壇上で談笑していた。陛下を見た途端、その人物らはこちらに体を向けて一礼した後ににこやかな笑顔を作った。彼ら4人は全員不思議な格好をしていた。頭には銀髪や金髪の大きなカツラをつけ、それぞれ色の濃いベストを着ていた。白いハンカチのようなひらひらした布を胸元に飾り、大きな宝石が衣装の中央についていた。ズボンはひざ丈までで、白いストッキングをはいているのだ。靴は茶色いしゃれた革靴だ。この国のファッションというものなのかと、疑問に思いながら私は彼らを見つめた。女王は彼らのもとへ歩き、赤い椅子に音もなく座った。

「演奏会は終わったが、アンコールとしてもう一度あの曲を演奏してもらえないか。」

それを言うと、不思議な格好の者たちが急にそわそわしだした。

「いいだろう、一回ぐらい。はやく楽器を出しなさい。ほら、そこの汚らしい者も座れ。」

そういって私に向かって手招きした。私はゆっくりと椅子の方向へ向かい、その4人のしていることを見た。何かを黒いケースから取り出しているようだった。一人目の金髪の男は茶色い、ユニークな形をした木の塊を細長いケースから取り出した。その塊からは黒い棒が突き抜けており、線が何本か通っていた。木の表面にはアルファベットのエフのような文字が両サイドに彫られていた。男は長い何本もの糸がついた棒をだし、木の塊を肩の上に乗せた。その間に、小さな黒い箱を引っ張り出し、なにか作業するブルーのジャケットを羽織った男がいた。ケースを閉めると右手に黒い棒のようなものを持っていた。その棒には複雑で立体的な銀色の飾りが端から端までびっしりと施してあった。その中にいた唯一の女の人は、ブルーのジャケットの男の持っている棒より一回り小さい銀色の棒を持っていた。それにも丸い銀色の飾りが駒なくされていのだ。しかし、縦にではなく、彼女は横に構えていた。最後の黒髪の男は、何も用意せず、大きな黒い物体のもとに歩いて行った。ふたを開けると、黒い板と白い板が順番に何枚も並べてあった。彼はそこにあった椅子に座ると、その板に手を添えた。木の塊を持った男が、棒をそれにあてた。彼はそのあとに大きく体を揺らして息を吸った。すると、今まで銅像のように固まっていた後の三人が、一斉に体を揺らし始めた。

同時に、耳に今までにない衝撃のようなものが走った。それは私がいつも仕事で建物を爆発させる時の衝撃音とは違う。耳元で誰かに叫ばれるようなものでもない。さまざまな形と音の色が体を包み込んで振動させているようだった。全身に鳥肌が立ち、急に心の中が熱くなった。こんな気持ちになったことはない。抑えることのできない不思議な感情が私の中で爆発していた。そして、そのほかのことは考えられなかった。

その音を聴いていると、一つ一つの楽器の音色が聞き取れた。私は目をつぶってみた。自分は広い森の中にいる。木々の葉が風で揺れるたびに空気に小さな亀裂を生む。空気の層に、少しずつ小さな裂け目が出てくる。それを支えるように後から小石がその隙間を埋めていく。木の上からは小鳥のさえずりが聴こえ、風の音の合間からひょっこり出てくる。見上げれば、丸い日の光が、木の葉の間からシャボン玉のようにあふれ出て、流れるきれいな小川に沈んでいく。すべてが一つにまとまっているのだ。しかし、それはしっかりと個々の音を主張して出来上がっている。音はなんの狂いもなく、溶け合って私の耳へと流れ込んでいる。私はそのまま何も考えずに聴いていた。

「何を座っているの!もう演奏は終わったのよ。いつまでもぐずぐずしていないでちょうだい。」

驚いて目を開けると女王様の長いまつ毛が私に向けられていた。私は急いで椅子から立ち上がろうとしたが、なかなか腰が上がらなかった。気づいたら顔は涙でびしょ濡れだった。なぜ自分の顔がぬれているのかがわからなかった。ただ、体全体で聴いた音が絶え間なく反芻していた。女王はそれに気づいたのか、吊り上った眼を元通りにし、口元をゆるめて満足そうにほほ笑んだ。

「おまえ、涙を流すほど感動したんだね。」

女王に返答しようとしたが、のどが渇ききっていたため、また死にかけの魚のように口をパクパクさせることしかできなかった。ただ、今自分の身に起こったことが信じられなかった。

「疑った私が悪かったわ。あなたはこれから私の元でクラシックをとことん楽しんで頂戴。」

「…はい。」

かろうじてのどを絞らせて答えた。私はその女王の澄んだ瞳をじっと見つめた。感動という言葉が今の気持ちだと知った時、私はもっとこの感情のことを知りたいと思った。不意に陛下が私に手を差し伸べてくれた。私はためらいなくその手を取って、立ち上がった。
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